神社参拝の基礎知識(パワースポットへ行く時の心構え)

どんな人がパワースポットに行くと危険か

2016/03/22

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御神気に満ち溢れる神社やパワースポットを訪れてみて、癒されるどころか逆に気持ち悪くなったり気分が落ち込んでしまったりすることはありませんか。

そして、更にその後も何かすっきりしない体の調子が長期間続いたり、その場所に行ってから原因不明の憂鬱感にずっと付きまとわれるという様な事があるかも知れません。

また一方で、神社やパワースポットで今まで悩んでいたことに対する前向きなインスピレーションが得られたり、その後まるで人が変わった様に明るく活動的に行動できるようになるという場合もあります。

その違いは一体何なのでしょうか。

人によってはパワースポットに訪れたことが、後から考えれば人生の分岐点になる程の幸運の道標になることもあります。
また、パワースポットで何かゾッとする様な恐ろしい体験をしてしまい、それ以来、常に体がだるくて感じて何事にもネガティブに考えてしまうということもあります。

それらの違いは単にその人の行動や気質に寄るものなのでしょうか。
それとも単なる偶然の結果でしょうか。

スピリチュアルな観点から考えてみると、その結果はパワースポットに行く時の心の状態次第だと言えそうです。

パワースポットが危険となる理由

スピリチュアルな捉え方をすると、我々人間は肉体と霊魂を合わせ持つ存在です。
そして、人間が死んだ後には肉体だけが滅び、霊魂は永遠に残るという考え方をします。
肉体を持つ私達を「人霊」と呼び、元々肉体を持たない霊が存在し、それを「自然霊」と呼びます。
精霊や妖精も自然霊ですし、天使等も自然霊に属します。

また、自然霊には低級なものから高級なものまで存在します。
神社の御神霊は高級自然霊であり、その神社にもご眷属霊とよばれる自然霊がたくさんいます。

そして、神社ではなくともパワースポットや聖地と呼ばれる場所にも多くの自然霊が存在していると考えられています。

さて、ここでパワースポットに訪れた時に問題となるのはそこにいる低級な自然霊です。
神社等にたくさん存在するご眷属霊の中の低級自然霊がそこに来た人に憑依することがあるのです。

憑依と言うと何やら怖い印象を受けますが、波長の法則によって出会う霊的な縁のことをいいます。

肉体を持った人間同士で波長の法則で引かれ合う様に、この世に肉体を持って生きている人間と肉体を持たない低級自然霊が引かれ合うということです。

日常において霊的な憑依を全く受けずして生きている人は少なく、常に不平不満を抱えている人が反社会的な信じられない行動に出る時にはこの憑依が関係しているのかもしれません。

また、神社やパワースポットには低級自然霊だけではなく、未浄化霊と言われる自分が死んだことに気付いていない存在もいる場合があります。
当然、その未浄化霊と人間が引かれ合ってしまい、憑依を受けるという結果になることもあり得ます。

神社やパワースポットの様な聖地に来て体調が悪くなったり、運気が悪くなることはあり得ますが、それは、憑依霊の影響の可能性があるかも知れないのです。

でも、波長の法則から言って、それは憑かれる人が悪いということになります。

パワースポットにお連れした方々の中に、「あの聖地に行ってから調子が悪いんです」という人がいます。もちろん、そうでない人もいます。

でも、一緒に行っているのに、憑かれる人と憑かれない人がいるのはなぜでしょうか。

それは、波長の高さが違うからです。
憑依された人の波長が低かったということです。

波長の高い人とは人格もしくは霊格の高い人とも言えましょう。

ですから、低級自然霊や身浄化霊に憑依の影響を受けたことの全てを聖地のせいにしてはいけません。自分自身の責任です。

つまり、霊格(人格)が低いから。憑依はその人の心の未熟さを表しているのです。

低級自然霊はいろんな人に憑依しているうちに、元いた場所に帰るに帰れず、(いろんな悪さをしてますから)いろんな人に憑依して、悪さを重ねていきます。

こうした低級自然霊が低級霊団(つまり悪霊)となります。
でもそれは、元はと言えば人霊(つまり私たち)のせいなのだそうです。

聖地に行って、勝手なお願い事やご利益を願うことは「依存」になります。

自分に甘い人がパワースポットや聖地に行くだけで助けられると思えません。

パワースポットへ行くことが趣味な人たちが、そこへ行くだけで努力なしで願いが叶うと思っているとするならば、自分に甘く怠惰に陥り易いかもしれません。

そんな人が、聖地にいる低級自然霊にもてあそばれることになります。

こうして人霊のはずである私たちが、低級自然霊の影響を受けていくと、だんだん私たちも「低級自然霊化」していきます。

肉体を持たない低級自然霊は人の様に人から生まれるのではないので「情」がありません。

「情」がないので、残酷なことも平気でします。
人の気持ちを察することなどもできません。

通り魔、無差別殺人など・・・。
まさに憑依霊の影響かのように思えます。理由なく人を殺すなど、情などありません。

突然人格が豹変する人など、皆さんの周りにもいないでしょうか?
それは憑依の影響かもしれません。

また、聖地に行って不思議なこともあるし、不思議なものがカメラに写ることはあるでしょう。
しかし、それ自体を喜んだり自慢げに人に触れ回ることは余り意味がないことです。
自分への特別なメッセージだと信じ込むことも逆に謙虚さを忘れさせてしまいます。

それでは本来必要な霊的存在からのメッセージが届かなくなりますから、余りにマニアックになり過ぎるのも注意が必要です。

もし、傲慢で常に不平不満を口にして謙虚さのかけらも無い人が自助努力なしで楽して願い事を叶えたいと思うならば、その人には低級な自然霊や未浄化霊が近付いていきます。

そして、人によっては、パワースポットに行くことで良からぬものとつながり、結果的に「不幸」になってしまいます。
そこは人によっては危険な場所となり得るのです。

パワースポットを危険な場所から真の神聖な場所へ

この様に考えていくと、神社やパワースポットに行くことは何か怖いことのように思えてくるかもしれませんが、そこは高級な自然霊とつながることのできる入口でもあります。

低級自然霊や未浄化霊がうごめく一方で、訪れる人の心のあり方次第ですが気高い御心霊からの一筋の光が差し込んでくることだってあるのです。

自分さえしっかりしていれば、低級自然霊や未浄化霊に翻弄されることはありません。

まず、やるべきことをやってから聖地に行くことが非常に大切です。

当たり前のことなのですが、規則正しい日常生活を心がけ、整理整頓・清潔を怠らず、常に自らの心のあり方を謙虚に内省し、己の心の平安を旨とする。
少なくとも、自分に欠けていることを埋めるべく努力を継続する。

そこに低級な存在のつけ込む余地は一切ありません。

そうしたことをやってから、パワースポットや聖地に行く価値が出てきます。
インスピレーションという形で一筋の光が差し込んでくるかもしれません。

今では聖地に行っても自分を省みない我欲な願い事ばかりで一方通行の自己主張だけを繰り返す人達が多い様に思えます。

これでは、コミュニケーション能力がないのと同じだと、スピリチュアリストの江原啓之さんは言われます。

聖地に行って、霊的存在からの声を聴こうとしているかどうか。
これが大切なのだそうです。

目に見えない大きな存在とコミュニケーションする気持ち、それが「内観」であり、自分を省みることでもあると言えるのです。

ある種の人達にとっては神社やパワースポットへ行くことはかえって危険なことになるかもしれません。

しかし、その人達がまず自分自身を深く内省し、態度を改め、己の未熟さを認識した上で自分を成長させ意識を高めていきたいと願うならば、パワースポットは危険な場所ではなく自分自身を高めていくきっかけの場所になるのです。

私たちの意識を常に高めることが大切です。

神社やパワースポットだけではなく、日常の中でいつもどこかで霊的なことが示されています。
それに氣づくこと、深く氣づけるかどうかが大切です。

どうすれば氣づけるのか。
普段から感性を高めることをすることです。

そうして意識の高い人達がパワースポットを訪れることで、波長の法則により今度は低級自然霊や未浄化霊の方がそこにいられなくなります。

意識の高い人達が多く訪れることで、その場所はよりいっそう光を増していきます。

パワースポットを危険な場所から、真の神聖な場所にしていくのはそこに訪れる我々次第だと言えるのです。

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