諏訪大社「御頭祭」ツアー2日間2018
~~縄文信仰の入り口・諏訪のミシャグチ神とタケミナカタノオオカミ~・守屋山登拝と物部守屋神社参拝
2018年4月14日(土)~15日(日)


天に向かってそびえたつ「御柱」

諏訪は縄文信仰の入り口である。さしずめミシャクジはその水先案内人であろうか。ミシャクジの後をついて行けば、縄文の世界はごく自然に開かれて行くだろう。

『諏訪の神~封印された縄文の血祭り~』戸矢学著 河出書房新社
※ミシャクジとミシャグチは同じです。

魅力たっぷりのこだわり諏訪信仰ツアーです。

今年は、諏訪大社の御頭祭が日曜日にあるので、ツアーにも参加しやすいと思います。

かなり古い歴史を持った諏訪大社や諏訪信仰。

その起源ははっきりとわかっていませんが、その歴史はあまりにも古く、「古事記」から推測すると、少なくとも1500年~2000年前には、諏訪大社は鎮座していたのではないかと見られています。

諏訪大社の7年に一度おこなわれる御柱祭が有名ですが、その由来や意義もいまだに謎です。

すべてのお宮、祠の四隅にある柱からも、その異様な景観から古代の特異な信仰を想起させます。

そんな謎に満ちた諏訪大社の有名な祭りの一つである「御頭祭」を見学します。これも古代の諏訪信仰から来るものの一つとも考えられています。

そして諏訪盆地には、国譲り神話とは別に、もう一つの国譲神話が伝えられていいます。そのことは、室町時代初期に編まれました「諏訪大明神画詞(えことば)」などに記されています。

それは、大和朝廷が日本統一前から存在する、洩矢神(もれやのかみ)を長とする先住民族のこと。

諏訪大社のご祭神・タケミナカタノカミと洩矢の神は闘い、結局、洩矢の神は負けてしまいました。その洩矢神が、守矢家の祖先神であることを「神長守矢氏系譜」によって伝えられています。

こうした様々なミステリー?な諏訪信仰について、今回も諏訪大社の宮大工をしているお父様を持つ原さんの案内で、ツアーを行ってまいります。

ツアーは2日間。オプションとして、守屋山登拝があります。
諏訪大社のご神体とも言われています。この機会に一緒に登拝しませんか?

謎めいた諏訪信仰の扉を、一緒に開けに行きましょう!


今も縄文の面影を残す諏訪地方の聖地へ。

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諏訪の古代信仰は縄文時代までさかのぼる!



御頭御社宮司(おんとうミシャグチ)総社


諏訪信仰の原点がここにあります。「ミシャグチ社」

各地にあるミシャグチ社の総本社。

ここに参拝すると、なぜか懐かしい気持ちになる不思議なお社です。


※ミシャグチだったり、ミシャクジだったりしていますが、同じです。

大和朝廷による日本統一以前から、諏訪地方には洩矢神を長とする先住民族が、天竜川河口に陣どって、タケミナカタノミコトと闘い、洩矢神は負けてしまったといわれています。

その洩矢神の子孫の守矢氏が神長(じんちょう)という筆頭神官の位に就きました。
そしてタケミナカタノミコトの子孫である諏訪氏が大祝という生神の位に就きました。

こうして諏訪の地には、大祝と神長による新しい体制がありました。
こうした信仰と政治の一体化した諏訪政体は古代、中世と続きます。

諏訪大社の祭政体はミシャグチ神という樹や笹や石や生神・大祝に降りてくる精霊を中心に営まれます。

そのミシャグチ神の祭祀権を持っていたのは神長(じんちょう)であり、
重要な役割としてのミシャグチ降ろしの技法を駆使して祭祀をとりしきっていました。

守矢家は諏訪信仰とともに長い歴史を生きてきました。
ミシャグチの神は守矢氏が祭る神であり、各地に社がありました。

今も祀られているミシャグチ神、諏訪大社、そして諏訪大社のご神体とも言われる(説は様々あり)守屋山など、それらの関係性の謎は多く残されています。

諏訪大社の代表的なお祭りや諏訪信仰について、ガイドの原さんからお話を伺いたいと思います。原さんのお父様は諏訪大社の宮大工で、先祖代々から深く諏訪大社に関わっていらっしゃいました。

諏訪信仰とともに長い長い歴史を生きてきた神長官の守矢家について、学んでいきたいと思います。



御頭祭の風景

諏訪大社「御頭祭」ツアー2日間2018
~縄文信仰の入り口・諏訪のミシャグチ神とタケミナカタノオオカミ
~のポイント

諏訪大社の「御頭祭」見学。その他、諏訪大社・本宮で行われる例大祭も見学

神長官守矢史料館見学、そして御頭社宮司(おんとうミシャグチ)総社参拝

諏訪大社と深く関わる地元のガイドさんが同行

ミシャクジの神を降ろしたといわれる「峰の湛え」の木へ

出早雄小萩神社(いずはやおこはぎじんじゃ)参拝。カタクリが楽しめるかも!?

オプションで諏訪大社上社本宮のご神体と言われる守屋山登拝と(物部)守屋神社参拝※人数3名まで

貸切マイクロバスで移動(15日当日はお祭りのため、歩きが3キロあります)

諏訪大社下社(春宮・秋宮)諏訪大社上社(本宮・前宮)参拝

諏訪信仰や諏訪大社に関連する神社の洩矢神社、藤島社参拝

諏訪大社下社の春宮から秋宮まで散策&参拝(慈雲寺、矢除石、宝光院、御作田神社、新鶴で地元のおいしい和菓子購入など)


地元のかんてんのお店に時間があれば立ち寄ります。

ホテルもおさえました!シングル・禁煙のお部屋12部屋確保しています。


こんなあなたにこのツアーをおすすめします!

諏訪大社を参拝したい方

諏訪大社の歴史や伝統文化に興味のある方

諏訪信仰に興味のある方、御頭祭を見学したい方

神長官守屋史料館に行ってみたい方

縄文に興味のある方

勝負運を求める方

守屋山登拝、物部守屋神社参拝を希望している方(オプションです)


諏訪大社の信仰とは? 御頭祭とは?

諏訪大社は最古の神社の一つと言われています。延喜式神名帳には南方刀美神社(みなかたとみのかみのやしろ)と記され、信濃国四十八座の第一にあり、当時既に信濃國一之宮として信仰されていたことがわかります。

全国に分布する分社は一万有余社を数え、お諏訪さま、諏訪大明神と親しまれ、古くからある信仰には風と水を司る竜神の信仰や、風や水に直接関係のある農業の守護神としての信仰が著名です。また水の信仰が海の守り神となり、古くからある港の近くには必ずと言っても良い程にお諏訪さまがお祀りされております。

神功皇后の三韓出兵や坂上田村麿の東夷平定にも神助ありと伝えられ、東関第一の軍さ神、武家の守護神とも尊ばれて来ました。精進潔齋を形だけする者より、肉を食べても真心込めて祈る者を救おうという諏訪大明神御神託があります。



~御頭祭とは~
本宮で例大祭の神事執行後神輿行列を仕立て前宮に赴き十間廊で古式に依る祭典が行われます。
古くは三月酉の日に行われたため酉の祭りとも言われ、農作 物の豊穣を祈って御祭神のお使いが信濃国中を巡回するに際して行われたお祭りで大御立座神事とも言います。特殊神饌として鹿の頭を始め鳥獣魚類等が供えられるため一部では狩猟に関係したお祭りの如く言われています。唯今は鹿肉とともに剥製の鹿頭をお供えしますが、昔は七十五頭献じられたこともあり、中に必ず耳の裂けた鹿があって高野の耳裂鹿と言い七不思議の一つに挙げられています。



昔は75もの鹿の首が供えられたといわれています。







諏訪大社のお祭りは、縄文時代から続く祭りが続けられている!?と言われるぐらいの歴史があるもの。鹿やその他野生の動物の首を供えるなどからしても、縄文との結びつきが考えられる!?

諏訪大社 上社(本宮・前宮)~神の息吹を感じる古代の聖地へ~

近世までの諏訪大社は上社・下社とも、大祝(おおほうり)と呼ばれた最高権力者がいました。大祝は神が宿った現人神であり、その地位は絶対でした。上社の大祝は古代は神氏が担い、中世以降は諏訪氏が担いました。でも、上社では一切の神事を取り仕切ったのは、大祝ではなく、神長官と呼ばれた最高位の神官でした。その神官を営々と継いできたのが、守矢氏です。ミシャグチの神は守矢氏が祭る神であり、各地に社がありました。神長官守矢史料館は、今も残る神長官屋敷のすぐ裏にあります。下社はタケミナカタノオオカミを祀る大祝、上社は神長官守矢氏が統括したといわれています。

本 宮(ほんみや) 御頭祭当日、お祭りはここから始まる。


前 宮 神の息吹を感じる古代の聖域。諏訪大社最高のサンクチュアリ。


心洗われる風景


この中で御頭祭のお祭りが行われる。






御頭祭をずっと見ているのは時間が長いので、寒天のお店に行ってお買物もしましょう。

諏訪大社 下社(秋宮・春宮)
~龍神の信仰古く、源頼朝・武田信玄・徳川幕府などの武門武家の信仰篤い勝負の神~

諏訪大社は諏訪湖の南北に二社ずつ四ヶ所に分かれて鎮座する、独特の形を持ったお宮。ご祭神のタケミナカタノオオカミは大国主命の御子神で、妃姫がヤサカトメノカミ。ヤエコトシロヌシノカミは御兄神にあたります。昔から諏訪大名人、お諏訪さまとして親しまれ、雨や風、水の守り神として龍神の信仰も古く、国土開発、農耕生産、開運招福、交通安全の守護神として篤く崇敬され、特に歴代の朝廷をはじめ武門武家からは勝負の神、軍さ神として崇められていました。鎌倉時代には源頼朝は源氏再興の守護神として篤く崇敬していたことも知られています。甲斐の武将・武田信玄は特にお諏訪さまを信仰し、武田家の護り神と崇めています。徳川幕府の信仰も篤く、初代家康は上社本宮に神門を寄進しており、これほど武将が入れ込むほどの諏訪大神のご神徳の篤いことが伺えます。





藤島社、洩矢神社~タケミナカタノオオカミと洩矢神の戦いの陣地へ~ 

タケミナカタノオオカミと洩矢神を長とする先住民族が、天竜川河口に陣取って迎えうちました。その両方の陣地の跡にある神社に参拝します。


洩矢神社(岡谷市橋原区)
一子相伝で守屋実久まで口伝され、実久がはじめて文字化した「守屋氏系譜」によると、この洩矢神が守屋家の先祖神と伝えられています。


藤島社
(岡谷市三沢区)

諏訪明神入諏訪伝説の地、洩矢神は鉄の輪(カギ)を明神は藤の枝を持ち天竜川をはさんでたたかった、その時明神が持っていた藤の木が茂った、これが明神を祀ったのが藤島神社。


これが藤の木。

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神長官守屋史料館と古層の神・ミシャグチが祀られるお社へ

守矢史料館は鎌倉時代より守矢家で伝えてきた守矢文書を保管・公開する史料館。守矢家は中世より諏訪神社の上社の神官の一つである「神長官」を明治時代まで勤めてきた家柄です。守屋史料館は守矢家の敷地内に立っており、諏訪の風景を健在に伝えています。


藤森照信さん建築の神長官守屋資料館。海外(特に台湾)から多くの観光客がこの建物を見に来るそうです。






諏訪大社のお祭り「御頭祭」の復元


耳裂鹿(みみさけしか)の復元


~古層の神・ミシャグチ~
【御頭御社宮司(おんとうミシャグチ)総社】


樹齢百年を超えるカヤの巨木の下に、ひっそりとたたずむ小さな社。
このミシャグチ社こそ、神代の昔より連綿と続く諏訪信仰の秘密が隠されているといいます。ミシャグチ(ミシャクジ)の神は守矢氏が祭る神であり、各地に社がありました。伝承によれば、守矢氏の歴史は神代にまでさかのぼります。


~高部の藤森照信式建築~
神長官守屋資料館の近くには、藤森照信さんの建築があるので見て周りましょう。自然素材や植物を用いて作られた独創的な建築は見て楽しいですよ♪

■藤森照信さんについて

1946年茅野市生まれ。建築史家・建築家。東京大学名誉教授。近代建築史・都市史研究の第一人者として多くの業績を残す。著書に『明治の東京計画』、『日本の近代建築』(上下)、『天下無双の建築学入門』などがある。1991年、茅野市神長官守矢史料館を設計し、建築家としてデビュー。自然素材や植物を用いて、これまでに40作品以上の独創的な建築を創り続けている。2011年より、茅野市ふるさと縄文大使を務める。




高過庵


低過庵


空飛ぶ泥船

峯の湛え、ミシャグチの神が降りる木へ



峯の湛えとは・・・前宮と関連を持つ重要な遺跡地で、古来より諏訪七木(ひちぼく)の一つで湛の神事をしたところと言われている。春の農耕神事に領地内(県)を巡って帰る神使(おこう)の通る道筋であり、ここを「大祝道」「鎌倉街道」なども通っていた。またこの山を「火とぼしやま」と呼び、古代の砦の遺構を思わせる形跡が各所に見られ、記録によれば中世の狩猟神事「矢ヶ崎まつり」ノロシ台にも使われている。

「湛(たたえ)」とは・・・
「湛の場所にある木や石に神を降ろし、鉾(ほこ)に鉄鐸(てったく)をつけてふり鳴らし神に豊作を祈願する」と説明しています。


ガイドの原さん曰く、精霊がたくさんいるところ!とのこと。素晴らしい木です。みなさんにこの木の素晴らしさを体感していただきたいです。

出早雄小萩神社(いずはやおこはぎじんじゃ)

出早雄神社は古くより諏訪神社下社の摂社で、西山田三区(横川・中村・中屋)の産土神として鎮座していました。昭和35年(1960)、小萩団地造成のため、小萩神社を遷座し出早雄神社と合祀、出早雄小萩神社となりました。ご祭神は建御名方命の二男、出早雄命と八男の興波岐命。





ツアーで訪れる時期が、ご神域内や公園でカタクリを楽しめる可能性大!楽しみですね♪

諏訪大社の春宮~秋宮の間は散策♪ 訪れる神社・その他

春宮から秋宮まで徒歩で散策しながら、諏訪大社や諏訪信仰に関わる大切な聖地を訪れます。おいしい地元の食べ物もあるかも♪お天気が悪い場合は貸切マイクロバスで移動になる場合があります。


ここは中山道。道の途中で温泉に触れることができて気持ちいいです~!
諏訪地方は温泉が豊富にあります。


御作田神社。諏訪の七不思議のひとつ。


慈雲寺の近くにある矢除石。武田信玄ゆかりの石です。

<行くところ>
下社春宮~慈雲寺~矢除石、宝光院(敬愛社)~御作田神社~新鶴(おいしい和菓子のお店)~下社秋宮

諏訪大社ツアーに強い味方!地元ガイドさんが2日間同行!!

ご家族が宮大工であり、諏訪大社の御柱神事にもご家族が重要な役割を果たしていらっしゃる原さんがツアー2日間同行してくださいます。原さん手作りの諏訪の神さまのお話はわかりやすくて好評でした。この御頭祭ツアーにも同行してくださいます。原さんと一緒に諏訪の探検に出かけませんか?






2016年の守屋山頂上での様子。地元ガイドの守屋さん、そして新聞社のカメラマンさんが当社のツアーに同行。「長野県の唄」を歌ってくださいました。

オプション・物部守屋神社・守屋神社奥宮参拝と守屋山登拝(4月16日月曜日)

諏訪大社上社本宮のご神体と言われる守屋山登拝そして(物部)守屋神社を参拝します。
正式には「守屋神社」といいます。ご祭神は物部守屋大連公で、祖神はニギハヤヒノミコトで創立は推古天皇壱年。物部守屋といえば、敏達14年、仏法廃棄を唱え蘇我馬子と対立。蘇我馬子との戦いに敗れ、守屋の子どもが守屋の屍を持って難を逃れてここに屍を埋めて傍らに居を構えたと言われています。これらの墳墓、邸宅跡を含めてその地を古屋敷といいます。それが今現在の物部守屋神社で、古老は「守屋様」と呼ぶのだそうです。その後、子孫は繁殖し、周辺には守屋を姓とする苗裔が80戸ほどあります。守屋の息子・武磨は諏訪神社の神官、神長官の養子となり、27代の神長を継承しました。


(物部)守屋神社




2016年は厳しい参道コースを歩きましたが、今年はもう少し楽なコースを歩きます。




守屋神社奥宮




守屋山の頂上からは、南アルプス、中央アルプス、北岳、槍ヶ岳まで見える!


~守屋山登拝について~

守屋山登拝には、いくつかのルートがありますが、
コースは歩きやすいコースを今年は選んで歩きます。

靴はできればトレッキングシューズ又は山を登るのに適した靴をおすすめします。普通の運動靴でも歩けないことはありませんが、雨が降ったり、雨が降ったあとはすべりやすくなります。登拝中の事故は自己責任になります。ご了解いただいた上でご参加下さいませ。

頂上は守屋山西峰・東峰、守屋山奥宮に行きますが、時間の関係上、守屋山の峰のどちらかには行かなくなることもありますのでご了承下さい。


~注意点~
※山にはトイレがありません。隠れてトイレをする場所もありません。
※帰りの時間の関係上、昼食時間も含めて5時間20分以内としています。(片道2時間が平均のコースです。頂上では西峰、東峰に行き、守屋神社奥宮を参拝します。下山の時刻が遅れる可能性があると判断した場合は、西と東の峰のどちらかのみを行く場合があります)




守屋山登拝が終わったら・・・国の重要文化財の建物にある片倉館の温泉へ!(希望者のみ)
千人風呂です。


諏訪大社「御頭祭」ツアー2日間2018のツアー詳細について

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ちいろば企画のツアーはお1人でも安心して参加できるのがポイントです。実際にお1人参加の人がほとんどです。
ツアー内容は神社仏閣やパワースポット等を訪れるスピリチュアル旅行・聖地巡礼に加えて、その土地ならではの文化や伝統、食を楽しむ内容になっています。
お気軽にご参加ください。お待ちしております!!

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