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弟橘姫のこと、弟橘姫命(おとたちばなひめのみこと)の出生地は?

2020/02/10


 

走水神社

 

 

こんにちは~。

 

弟橘姫命(おとたちばなひめのみこと)

 

3月には走水神社と小桜神社日帰りツアーがあります。

ツアーは催行決定となっています。

まだまだ参加が可能ですので、お待ちしております~!

 

弟橘姫の出生地はどこ!?

 

昨年末に、イトウさんと一緒に三重県の元伊勢のお宮の視察に出かけました。

 

その中で、現地に行ってから知った神社がありました。忍山神社といいます。

 

 

行ってみて驚いたのが、その神社は弟橘姫の出生地とあってえ~っそうなんだ!来て良かったと思ったのですが・・・。

 

私が会員の皆さんにおすすめしている書籍『小桜姫物語』では弟橘姫はご自身の出生地についてこのようにお話されている。

 

いかにも遠い昔のこと、所の名も人の名も、急には胸に浮かびませぬ。私の生まれたところは安藝の国府、父は安藝淵眞佐臣(あきぶちまさおみ)・・・。代々この国の司を承っておりました。もっとも父は時の帝から召し出され、いつもお側に仕える身とて、一年の大部は不在(るす)がち、国元にはただ女子供が残って居るばかりでございました・・・。

『霊界通信 小桜姫物語』より

 

忍山神社には、弟橘姫はお父様は神社の神職って書いてあった・・・。

 

景行天皇御代に王子日本武尊は東征に際し忍山神社に立ち寄られ神主忍山宿祢の長女弟橘媛を妃とされ・・・

と、書いているHPがありますし、忍山神社にも「弟橘姫の生誕地」と書かれている。しかし、お父さんの名前も違う。

 

小桜姫物語は霊界通信ですが、かなり質の高い霊界通信なので、どちらなんでしょう?と思うのですが・・・。

弟橘姫は、いつも国元で暮らしていたわけではなく、たまにはお父さんのお伴をして大和にのぼって、帝のお目通りをしましたと書かれています。

そのときに、この神社なのか周辺なのかはわかりませんが、弟橘姫は来ておられたのかもしれませんね。

古事記に書かれているものでは、

12代景行天皇の第二の皇子・日本武尊は帝の命令で西の国の九州は熊襲を平定して大和に戻りますが、すぐさま東の国の平定、蝦夷(えみし)征伐を命じられます。大和をたった日本武尊は、伊勢の大神宮に立ち寄り、武運祈願をします。巫女の叔母の倭比売命(倭姫やまとひめ)から、天照大神がおさめた天叢雲剣と、火打石の入った神の御袋を授かります。日本武尊は旅立ちにあたり、「弟橘姫」を娶りました。

 

ということは、伊勢神宮から比較的近いところで弟橘姫を娶ったという意味だと思ったのですが。東征するのに広島に寄るのはちょっと大変ではないかと。

小桜姫は「日本武尊様にお会いされたのは大和のほうですか?」と弟橘姫に聞かれます。

すると、「そうではなありませぬ・・・。国元の館で初めてお目にかかりました・・」とあり、初めて会ったのは安芸の国のご自身の家だとおっしゃっています。

そして『小桜姫物語』に書かれている弟橘姫のお話がありますが、日本武尊(小碓命:おうすのみこと)は、当時筑紫路から出雲路にかけて巡遊中で、随行する人たちはおよそ56人であったと書かれています。

「わざわざ遠方からあまたの軍兵を率いておいでになられるようなことはありませぬ・・・」と弟橘姫はおっしゃったと書かれています。

そしてそのとき弟橘姫のお父さんは国元に帰ってきていて、家人に指図して、心限りのもてなしをしたのだそうです。この日の立ち寄りは不意打ちではなく、かねてからの帝からのご内命があり、弟橘姫と「お見合いのために」お越しになられたとあります。

そして帝のゆるしを得て再び日本武尊は安芸の国に来られて、正式にご婚儀となったとあります。その式はいたって簡単なもので、内輪でお盃ごとをされただけ、間もなく新婚の花嫁様をお連れになって征途にのぼられたとのことでございました、と小桜姫がおっしゃっている。

そして戦のときには、必ずそち(弟橘姫)を連れていくと日本武尊はおっしゃったのだそうです。

ということで、弟橘姫の生誕地は、広島県の安芸の国であると書かれていて、結婚をしたのも安芸の国であると書かれています。

どちらが本当の話なのか?と思いますが、それは皆さんにお任せします。いずれにしても、弟橘姫とゆかりのある聖地なのだと思います。そして倭姫命ともかかわりのあるお宮なのでしょうね。

艱難辛苦の旅であっても、弟橘姫の心を支え、誇りとしたのは、自分ひとりがいつも日本武尊をお伴と決まっていたことだったそうで、一切の不満も一切の苦労も弟橘姫にはなかったのだそうです。

「たとえ死んでも・・・」という考えが、弟橘姫の胸の奥深くに刻みこまれたのだと小桜姫はおっしゃっています。

そして相模国での焼き討ちと話についても話があります。NHKの教育TVを見ていると、その焼き討ちというのは、今の焼津市だと、國學院の先生がおっしゃっていました。焼津市は相模国ではありませんが、昔は今の焼津市は相模国なのかもしれません。

ちなみに、私の住む河口湖も、甲斐の国ではなく、相模国だったときがあったようです。山梨県立博物館で知りました。だから、今とは違うことはよくあることですね。

あの草薙の剣のところの話については、弟橘姫も詳しく話をされたと書かれています。あのときばかりは武運も最後だと思うぐらいに危ぶまれたと書かれています。

その難儀から逃れることができたのは、あの御神剣(草薙の剣)のおかげだったようで、燃ゆる火の中で命がその鞘をはらわれると同時に、風向きが急にうなったのだそうです。

「そのご神剣とは、前年にわざわざ伊勢に参られたときに、おば君(伊勢神宮の倭姫宮のご祭神、倭姫様)から授けられた世にも尊い御神剣で、命(みこと)はいつもそれを錦の袋に納めて、ご自身の肌身につけておられました。私などもただ一度しか拝ましていただいたことはございませぬ・・・」

このような危険なときも、日本武尊は弟橘姫の身を案じておられたようで、そのことは今でも当時を思い出せばおのずと涙がこぼれるといっておられたのだそうです。

このお二人の間にお子様は、若建王(わかたけおう)と呼ばれるお方がただ一人おられたそうです。でも旅から旅へとおられたので、ご自身の手でお育てになることはできなかったそうです。

こうして弟橘姫は日本武尊にすべて尽くしたといわれる一生だったのでしょうね。

小桜神社

 

そして走水の海で日本武尊を助けるために、入水されるというお話につながります。

船出をしてほんのつかの間に天候が不穏の模様になり、西北の空からどっと吹き寄せる疾風、みるみる船はグルリと向きを変え、人々は瀧なすしぶきをいっぱいに浴びたとあります。

それか暴風と戦いましたが、何人かは波にのまれ、船はいつ覆るかわからないぐらいになりました。

そんなとき、弟橘姫は一心に祈ります。このようなときは、もう神様に祈るしかない。一心不乱に神様にお祈りをされます。何度体を投げ出されても祈り続け、そのときにはっきりとした一つのささやきが聞こえたといいます。

これは海神の怒り・・・今日限りで命(みこと)の生命を奪(と)る・・・。

精神を鎮めてもまたこのような怪しいささやきが耳に聞こえてくるとあります。

弟橘姫は、霊的な能力のある方だったのでしょうね。

何度もこのような言葉が繰り返されて、日本武尊に伝えると、「何の愚かなことを!」と打ち消してしまわれたようです・・。

弟橘姫はとうとう一存で神様におすがりします。「命は御国にとりてかけがえのない、大切な身の上、この女の生命を以て命の御生命にかへさせたまえ・・。」二度三度この祈りを繰りかえしているうちに、弟橘姫の両目からは涙が瀧のようにあふれだし、一首の歌が自ずと口を突いて出たのもその時だったとのこと。

 

眞嶺(さね)刺し、相模の小野に、燃ゆる火の、火中に立ちて、問ひし君はも

この歌は、走水神社の中に明治神宮の明治天皇の第6皇女である昌子内親王の御染筆の碑があります。

この歌は、古事記にはあるけれど、日本書紀にはないということをどこかで読んだことがあります。霊界通信では、弟橘姫はこの歌をよまれたのは本当だということですね。

 

なぜこのようなことが起ったのか?

小桜姫が説明しています。それは「海神の怒り」であること。日本武尊様のような、ご立派な方が、なぜ海神の怒りを買われたのか?

これについて、小桜姫は指導役のおじいさんに聞いたとおっしゃっています。

このように答えられました。

「すべて物には表と裏がある。命(みこと)が日本国にとりて並びなき大恩人であることはいうまうでもないけれど、しかし殺された賊徒の身になってみれば、命ほど、世にも憎いものはない。命の手にかかって滅ぼされた賊徒の数は何万ともしれぬ。で、それらが一団の怨霊となって隙をうかがい、たまたま心よからぬ海神の助けをえて、あんな稀有な暴風雨をまき起こしたのじゃ。あれは人霊のみでできる仕業ではなく、また海神のみであったら、よもやあれほどのいたづらはせなかったであろう。たまたまこうした二つの力が合致したればこそ、あのような災難が急に降って湧いたのじゃ。当時の弟橘姫にはもとよりそうした詳しい事情のわかろうはずもない。姫があれをただ海神の怒りとのみ感じたのはいささか間違っているが、それはそうとして、あの場合の姫の心胸にはまことに涙ぐましい真剣さが宿っていた。あれほどの真心が何ですぐ神々の御胸に通ぜぬことがあらう。それが通じたればこそ日本武尊には無事に、あの災難を切り抜けることができたのじゃ。弟橘姫は矢張り稀に見るすぐれた御方じゃ」

『小桜姫物語』より

 

弟橘姫だけが入水されたのではなく、弟橘姫に付いている女性たちも入水されていて、走水神社にはその人たちが祀られるお宮があります。宮司様は、そのおつきの女性たちのお宮もお忘れなくお参りくださいとお話されています。

弟橘姫ばかりを見てしまいがちですが、走水神社のご祭神は日本武尊もお祀りされています。このお二人の神々ように、夫婦とは、お互いを思いやることが大切なのだと思います。

日本武尊は草薙の剣で災難をはらわれたこともあるので災厄のご神徳があります。弟橘姫のように、強い心を持って人を助ける神様。愛の最上級は「犠牲」といいます。まさに最上級の愛を発揮された弟橘姫命は、私にとって一番学ぶべき神様であると思っています。

毎年、走水神社と小桜神社の日帰りツアーを行っています。こちらに参拝するたびに、私は愛の実践をしているのかどうか?を振り返ることがあります。そして小桜神社では、あの世である霊界のことを伝えてくださったことで、大変感謝しております。

小桜神社近くにある海岸

 

この書籍をおすすめして感想をいただきますが、「死ぬのが怖くなくなった」というご意見を聞きます。これは非常に大切なことで、私たちは人生における3つの苦しみ(死に対する恐怖心、死別の悲しみ、人生を不幸と思うこと)も克服できます。

弟橘姫と小桜姫はつながりがあり、小桜姫の三浦家ではいつも走水神社の社殿の修理他、心をくばり、お祭りときは必ず使者をたてて幣帛をささげていたそうです。

そしてこのお二人に共通するのは、「女性の鑑(かがみ)」として祀られていること。女性らしさとはどういう意味か?女性とは本来は男らしく、おとこっぽいものなのだそうです。男性は逆で、女性っぽいということを江原啓之さんがおっしゃっています。だから、男らしく、女らしくとうスローガンを掲げるとのこと。

女性として生まれる学び、男性として生まれる学び。女性には「支える」という学びがあるのだそうです。まさにお二人ともに「支えた」女性たちでご祭神にまでなられたのだと思います。

そして死はふるさとの里帰りであり、恐れるものではないことを小桜姫は伝えてくださっています。

今年も3月にツアーを行います。女性として生まれたことも生まれる前に決めてきた学びの一つ。女性として生まれた学びの実践の誓いを、このツアーで実現しませんか?私も毎年参拝して、もう少しイトウさんに優しくできるようになりたいと思っています。(笑)もちろん、男性の参加もお待ちしています。

海のそばをずっと旅するので、心身の浄化にもこのツアーはおすすめです。お天気がよければ、海のそばでのんびりする時間もあります。このような素晴らしい女性がいたということを、そして少しでもあやかりたいと願う方にも、ご参加いただければと思います。

 

京急観音崎ホテルのランチビュッフェ。2020年はレストランがリニューアルだそうです。

 

東叶神社と西叶神社の間の渡し船

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