関東から日帰りで行く走水神社と小桜神社の旅。
今年は、今までの内容に追加して、東西の叶神社にも参拝に訪れます。
ホテルの豪華なランチビュッフェや海のそばで過ごす時間もあって、心身の癒しや浄化を求める人にもおすすめ。
このツアーをやってよかったと思うことがあります。それは、ツアーに参加した会員さんのご意見からです。この旅に参加すれば、その答えがわかりますよ!
記紀神話に登場する「弟橘姫(オトタチバナヒメ)」が、夫である日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の身代わりとなって入水するお話が、『霊界通信 小桜姫物語』の中で伝えられています。
そのオトタチバナヒメとヤマトタケルノミコトが祀られる「走水神社」と小桜姫物語の小桜姫が祀られる神社に参拝に行くツアーを、昨年に引き続き、今年も行なうことになりました。
書籍『霊界通信 小桜姫物語』の中で、弟橘姫と小桜姫との関わりについても伝えています。そして小桜姫が伝える大切な霊的真理を学びながら巡礼の旅をします。
日本のスピリチュアリズムを語る上で欠くことのできない文献『小桜姫物語』の小桜姫が語る霊界のしくみ、小桜姫が熱心に参拝した「走水神社」、自身が祀られる「小桜神社」の祭神から見た現世に生きる私たちの姿について学びたいと思います。
走水神社は、江原啓之さんにとってのスピリチュアル・スポット第4位に選ばれるほどの神社。走水神社のご祭神・弟橘姫から「愛とは何か?」について学ぶ機会です。小桜神社では、霊的な世界について私たちに伝えてくださったことへの感謝を伝えたいと思います。
ツアー最後には、室町時代の小桜姫が嫁いだ三浦家の「新井城跡」に行き、歴史や当時の人たちの思いに寄り添いたいと思います。
今回は、初で訪れる西岸の叶神社、東岸の叶神社にも参拝に訪れます。これらの神社の間をつなぐ渡し舟にも乗りますよ!(お天気が悪い場合は貸切バスで移動)
小桜姫も眺めたであろう三浦の海でしばらく浄化の時間も予定しています。(海岸まで出る道が通れない場合は行けません)海の浄化パワーもいっぱいいただきながら、ご自身を癒して下さい。
ランチは、人気のリゾートホテルのランチビュッフェで約1時間!おいしいものもいただいて、心と体に満足の日帰りツアーです。
バスの中では、ちいろば企画の榎本が、小桜姫が伝えていることについて話をしながら、ツアーを進行したいと思います。
真摯な思いで、聖地の旅に出かけたいあなたの参加をお待ちしています!
浦賀水道と呼ばれる美しい海岸線が走水神社から見えます
走水神社&小桜神社と東西の叶神社日帰りツアー2020
会員登録|ちいろば旅倶楽部
走水神社&小桜神社と東西の叶神社日帰りツアー2020の詳細情報(行程・ツアー代金等)は会員登録後にご確認頂けます
走水神社&小桜神社と東西の叶神社日帰りツアー2020 ~『霊界通信・小桜姫物語』の小桜姫が伝えること~のポイント
ヤマトタケルノミコト、オトタチバナヒメノミコトが祀られる走水神社参拝&正式参拝
小桜姫が祀られる小桜神社参拝
西叶神社と東叶神社参拝
西叶神社と東叶神社の間にある渡り舟乗船
ランチは海のすぐそばにあるリゾートホテル「京急観音崎ホテル」でランチビュッフェ!
貸切マイクロバスでラクラク移動
小桜姫が居城していた「新井城跡」へ
バスの中で、ちいろば企画の榎本が『小桜姫物語』の大切なポイントをお伝えします
小桜神社参拝後、小桜姫も見たであろう海岸で浄化タイム(状況により行けない場合あり)
このツアーは、こんなあなたにおすすめします!
海の浄化と癒しを求めている方
オトタチバナヒメノミコトから「愛」を学びたい方、母性を学びたい方
『小桜姫物語』を読んだ方、または詳しく知りたい方
神話に興味のある方(悲しくも美しいオトタチバナヒメノミコトの伝説)
小桜姫に感謝を伝えたい方
西叶神社、東叶神社に行ってみたい方
おいしいビュッフェのランチを期待している方
小桜神社で参加の皆さんと一緒に(2019年)
走水神社 ~愛とは?女性らしさを伝える、伝説の聖地~
尊い女神の生き方は、時代を超えて、真の女性らしさとは何かを伝えてくれる。性別が、意味を見失おうとしている今だからこそ、その自己犠牲と、大きな愛に貫かれた姿から、大切な心を学んで。
『今、いくべき聖地』江原啓之著 マガジンハウスより
走水神社はヤマトタケルノミコトと弟橘姫命(おとたちばなひめのみこと)をご祭神としてお祀りする神社です。
記紀神話にも登場する走水に伝わる神話は、走水だけではなく、多くの日本人が知るお話であり、『小桜姫物語』の中ではこの神話の真実を伝えています。
愛とは?自己犠牲とは?走水神社で内観する時間を。走水神社では正式参拝も予定しています。
ここを訪れる人たちが、聖地巡礼にふさわしく、礼を尽くして参拝してくれるよう、心から祈っていますという江原啓之さんのメッセージがあります。
これから正式参拝です!
走水神社には、オトタチバナヒメノミコトと一緒に入水されたお付の女性たちが祀られるお宮もあるので参拝を!
~オトタチバナヒメノミコトの伝説とは?~
景行天皇の御代、東征中の日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は、古代東海道をたどって走水の地に到着し、そこから船で上総へ渡ろうとしましたが、海上半ばで突然強い風が吹き、海は荒れ狂い、軍船は浪にもまれ進まず、あわや転覆するかの危機となりました。
ヤマトタケルノミコトに付き添って来られた弟橘媛命(オトタチバナヒメノミコト)は、「このように海が荒れ狂うのは、海の神の荒ぶる心のなせること、私が海に入り荒ぶる神の御魂を鎮めますほどに、尊様は任務を完遂してほしい」と告げました。
そして「さねさし さがむのおぬにもゆるひの ほなかにたちて とひしきみはも」と、辞詠をのこし、菅畳八重、皮畳八重、あしぎぬ畳八重を波の上に敷いて激波に身を投じたところ、海は凪ぎ、波は静まり、ヤマトタケルノミコト一行の軍船は、水の上を走るように上総の国に到着しました。
上総、下総、常陸、日高見の国々の蝦夷を打ち平らげ都に帰る途中、碓氷坂より遥か東方に光る走りの水の海の輝きを眺め、その海に身を投じて武運を開いてくれたオトタチバナヒメノミコトを偲び、「ああ吾が妻よ」と三嘆したといいます。(吾妻・あずま)
そしてこれを以って東国を東(あずま)と呼ぶようになりました。ヤマトタケルノミコトは帰路の途中、息吹山の賊との戦いの後病にかかり、伊勢国能褒野で亡くなられました。御歳三十三歳と言われています。
以上は、奈良朝時代の初期に編纂された「古事記」「日本書記」に記されています。
走水神社にオトタチバナヒメノミコトが身を投げるときに詠んだうたの石碑があります
~オトタチバナヒメノミコトと小桜姫の接点~
小桜姫とオトタチバナヒメノミコトには、「接点」があります。それは小桜姫が嫁いだ三浦家の領地内に走水神社がありました。三浦家ではいつも社殿を修理し、その他に心をくばっていたそうです。そのため、小桜姫も在世中に何回か走水神社を参拝していたそうです。
その頃からすでに、オトタチバナヒメノミコトに対する敬慕の念があり、「入水されるときのお氣持ちとはどんなものだったのだろう」と偲び、涙を流したと書かれています。
この本に書かれているヤマトタケルノミコトとオトタチバナヒメノミコトのご夫婦について、お2人のお見合いの様子や、ヤマトタケルノミコトの任務の際はオトタチバナヒメノミコトも同行していたこと。オトタチバナヒメノミコトは、ヤマトタケルノミコトからとても信頼されていたことなどが語られています。
そして走水の海での入水の話は本当であること。海が荒れた原因は「海神の怒り」とありますが、日本にとっての英雄と言われるヤマトタケルノミコトではあっても、多くの人を殺しています。殺された人たちにとっては憎い相手となります。
その憎しみが、一団の怨霊となって心よからぬ海神の助けもあって、暴風雨を巻き起したものと言われています。
小桜神社 ~『小桜姫物語』で霊界のことを伝えた室町時代後期のお姫様~
私自身、『霊界通信 小桜姫物語』には大変な薫陶を受けていますし、小桜姫の伝説にも強く心を惹かれています。また、まだスピリチュアリズムが広まらぬ時代に小桜姫が霊界の仕組みを伝えた姿を思うと、私もそうであらねばならないという思いがこみ上げてきます。そのエナジーをいただくために、そしてこの霊界と現世のつながりをより深めるために、小桜姫ゆかりの地、三浦へと足を運びました。
『今、いくべき聖地』江原啓之著 マガジンハウスより
ご祭神は小桜姫。小桜姫は室町時代、北条早雲によって滅ぼされた三浦一族の嫡男・義光の妻だったといわれています。
三浦一族の滅亡後、小桜神社の所在地あたりで積もる苦労と重なる失望で病気になり、34歳でこの世を去りました。
『小桜姫物語』によりますと、小桜姫が亡くなるまで三浦家の墳墓の地を離れなかったことが、領地の人々の心に深い感動を与え、「小桜姫は貞女の鑑(かがみ)である」といわれ、小桜姫の死後に祠堂を立て神として祀られたとあります。
小桜神社のお社が当初は三浦のどこにあるのか最初は全くわからなかったそうです。あちらこちらとたずね歩き、最後に油壺の岩場の対岸に、神社と思われるたたずまいを発見し、漁師に頼んで渡してもらい、小桜姫が「ここがお社です」とお姿に接することができたとあります。
浜にいた古老も、小桜姫をお祀りしてあると言ったことでわかったそうです。そのような神社が存在して確認できてこそ、今、私たちはこうしてすばらしい書籍と小桜姫を知ることになりました。
小桜神社前にて、小桜姫に感謝の気持ちを伝える
~『小桜姫物語』とは?~
このお話を読むと、なぜ、人はこの世に生を受けたのか、そして、霊界とこの世の関係など、さまざまな謎が解明されます。~中略~
きっといたずらに死を恐れる気持ちが薄らいでくるのではないでしょうか。
『今、いくべき聖地』江原啓之著 マガジンハウスより
『霊界通信 小桜姫物語』の著者は浅野和三郎氏。東京帝国大学にて小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の指導を受けた英米文学者であり、日本の心霊科学研究の第一人者です。
奥様の多慶子夫人は霊媒で、小桜姫は多慶子婦人の守護霊だったそうです。生前の浅野和三郎先生は大変に厳格な方で、夫人が霊媒だからといって、無批判にその話を信じ込むような真似はなさらなかったそうです。
小桜姫の言霊は、先生の研究されていた霊界と一致しているという信憑性を確かめた上で本としてまとめられたといいます。その中で、小桜姫はさまざまな内容について伝えています。
三浦一族の滅亡に際して深い悲しみと怒りといった執着にとらわれたため霊界での修行が進まなかったこと、愛する夫や家族と霊界で会ったこと、霊格を高めるために指導役の神様がいろいろと教えてくださったこと。
そしてオトタチバナヒメノミコトをはじめとする神々や、霊界で修行を積むたましいたちとの交流が、生き生きと語られているのです。産土の神様を指導するのはオオクニヌシノミコトであることなど・・・。驚きの内容も書かれています。
聖地巡礼がお好きな皆さんにとって、とても参考になります。どのような参拝者が神様にとってうれしいのか、そんなことも書かれています。ぜひ参考にして下さい。
女性の生き方を考える上でも一つの指針となります。この書籍を読むたびに、死を恐れる必要はなく、死は「あの世」への里帰りであることがわかります。
「霊」の存在を否定する人は多くいるでしょう。しかし霊を否定することは、ご自身も神社に祀られる「神」も否定することになります。人は「人霊」であり、神は「神霊」です。
死後、ご祭神になるべく厳しい修行をした小桜姫ですが、人によって死後たどる道は違います。小桜姫がこの世で生きているときに出会った人たちの状況も詳しく説明しています。
この書籍は、スピリチュアリズムに関心を持つ人にとって、今もひとつのバイブルになっています。
※ツアー参加の方は、持っている方は「小桜姫物語」の書籍を持ってきてください。
※『小桜姫物語』は重要な霊訓ですが、参考程度におさえておいてください。小桜姫も書籍の中で、そのようにお伝えされています。
参考文献『今、いくべき聖地』
~合わせて読みたい書籍~
スピリチュアリスト・江原啓之さんの書籍です。走水神社、小桜姫についてこの書籍に載っています。他にも東国三社の鹿島神宮や香取神宮なども行くべき聖地として紹介されています。
会員登録|ちいろば旅倶楽部
走水神社&小桜神社と東西の叶神社日帰りツアー2020の詳細情報(行程・ツアー代金等)は会員登録後にご確認頂けます
小桜神社近くの海岸でのんびり・まったり。内観も
(状況により、海岸に行けない場合があります。天候が悪い場合は行きません)
小桜神社近くにある海岸への道が通れれば、行きます。(行けない場合がありますのでご了承下さい)海岸に行けた場合は海を見ながらの浄化タイムをお楽しみください。戦国時代を生き抜いた小桜姫の苦悩や学びについて思いを馳せましょう。お昼寝したい方は波をかぶらないように気をつけてどうぞ。(^^♪
小桜姫も見たであろう景色。時代は変わっても、人の心は変わらない。
1人静かに内観の時間も。(お天気であれば)
新井城跡 ~小桜姫の三浦家の城跡~
かつて小桜姫が住んでいたお城があった場所です。小桜姫は城主・三浦道寸の息・荒次郎義光といい、その妻だったと書籍にあります。時代は足利時代の末期で20歳のときに三浦家に嫁いだとあります。三浦家の家計図には小桜姫の名前はありませんが、その理由として子どもがなかったからではないかといわれています。北条早雲に滅ぼされたため、大変な憎しみ、苦しみなどの執着を持って死んでいったことが書かれています。小桜姫が暮らしていた新井城の跡地へ行って、三浦家の歴史から学びたいせつなことをお伝えしたいと思います。
三浦道寸の墓 2010年、2017年、2018年の走水神社ツアーで訪れました。三浦道寸は小桜姫の義理の父親にあたります。三浦道寸の悲劇そして三浦道寸が残した言葉から、人生の儚さを読むことができます。
西岸 叶神社と東岸 叶神社、そして渡し船で移動
船の中はこんな感じ
<西岸 叶神社>
叶神社は地域社会共に栄え、住民(氏子)は繁栄と平穏を神威と仰いで感謝し、不安と危惧には、祭祀を興し、神威に叶うことを信じてきました。江戸時代には、下田から奉行所が移され、奉行に任ぜられた武士は代々叶神社を崇敬し、春秋2期の大祭には、奉行自ら参詣され幣物を捧げられました。
ご祭神:誉田別尊(応神天皇)、比売大神、息長帯比売命(神功皇后) 以上併せて八幡大神
養和元年(1181)神護寺文覚上人が京都、石清水八幡宮より勧請し創建しました。
その由縁は、文覚上人が源頼朝の為に源氏再興を発願し、治承年間(1177〜1180)上総国(千葉)鹿野山に参篭しました。源氏氏神と称え奉る石清水八幡の神に祈念をし、源氏再興の本願が叶えられれば勝地を探し求め八幡の一社を建立、末永く祭祀をせんと誓いをたてました。
養和元年大願成就の前兆を感得し、社殿建立の勝地を求め、各地遍歴の末に鹿野山に相対する浦賀西岸の現在地に石清水八幡宮の神を祭祀する社宇を建立し、文治2年(1186)神の霊験により源氏再興の大願が叶うたところから、叶大明神と称するようになりました。
(叶神社ホームページより)
西岸の叶神社と走水神社は、同じ宮司さんが兼任されていらっしゃいます。
<東岸 叶神社>
御祭神:誉田別命(第15代応神天皇)
養和元年(1181)京都神護寺の僧文覚が源家の再興を発願し、石清水八幡宮を当地に勧請され、もし源氏の再興実現せし折は、永く祭祀を絶たざるべしと祈念したところに始まるとされている。その後、文治2年(1186)には源頼朝公が源家再興願意成就の意を込めて神号を改め、叶大明神と尊称されたと伝えられています。社務所の裏には井戸があり、勝海舟が咸臨丸での太平洋横断前に、この井戸で水垢離(みずごり)をした後、明神山山頂で断食をしたと伝えられています。
東岸 叶神社
お楽しみのランチは、京急観音崎ホテルのランチ ビュッフェ!レストランがリニューアルだそうです♪
これからランチビュッフェでワクワク・・・♪
ランチは1時間10分ほどの時間を取っています。
海を見ながらのランチ、ランチ後の散策にホテル周りを歩いてもいいですね♪
走水神社&小桜神社と東西の叶神社日帰りツアー2020の詳細について
ちいろば旅倶楽部入会ご希望の方はこちらからどうぞ
ちいろば企画のツアーはお1人でも安心して参加できるのがポイントです。実際にお1人参加の人がほとんどです。
ツアー内容は神社仏閣やパワースポット等を訪れるスピリチュアル旅行・聖地巡礼に加えて、その土地ならではの文化や伝統、食を楽しむ内容になっています。
お気軽にご参加ください。お待ちしております!!
お客様の声はこちらへ【走水神社・小桜神社ツアー】
ちいろば企画へのお問合せ・ツアーや講座に関してのお問合せ
ツアー・講座など、質問のある方は問合せフォームからお知らせ下さいませ。
【旅行企画・実施】有限会社ちいろば企画
山梨県知事登録旅行業第2-284号
(一社)全国旅行業協会 正会員
山梨県南都留郡富士河口湖町河口185-8
TEL:0555-73-8141 FAX:0555-73-8142