吉備の国・岡山の古代信仰と謎の伝説舞台を巡るツアー2日間2019 ~4つの一宮の神社とサムハラ神社奥の宮へ~
2019年9月14日(土)~15日(日)




岡山は、霊的な道を究める土壌。神道、仏教その他、霊的思想の発信地といえます。

浄土宗の開祖・法然や臨済宗の開祖・栄西の生誕地である岡山。

他にも、宇佐神宮のご神託で日本を救った和気清麿呂、太陽と一体化して人々を救済した黒住教の黒住宗忠など・・・。


そんな霊的土壌のある岡山の聖地を巡る旅が、岡山のちいろば会員さんにより企画されました!

岡山は、神道仏教その他、霊的思想の発信地であると言ったのは、スピリチュアリストの江原啓之さんでした。


和気清麿呂像

そしてなぜか、岡山県の会員さんが多いちいろば企画。熱心にツアーに参加される会員さんに岡山県の会員さんが多いことも不思議の1つです。(^^♪ 岡山に住む人たちは、霊的なことに敏感なのでしょうか・・・!?これも岡山という霊的な土壌も影響しているのでしょうか。

今回の旅は・・・、ちいろばの地元岡山の会員である伊達貴子さんと当社の合同で作られた、特別な岡山ツアーです。

岡山に訪れてみて・・・。岡山はワンダーランドだと榎本は思いました。それはとても遺跡が多いこと。謎が多いこと。パワースポットと人気の高いサムハラ神社だけではありません。岡山の聖地には謎が多いと実感します。

岡山にはかつて出雲のように、1つの国が存在したと考えられています。このツアーの企画&ガイドの伊達さんのお話を聞いてみましょう。

岡山の人でも知らない聖地、知る人ぞ知る聖地にも参拝に訪れます。私、榎本も大変楽しみにしている岡山・聖地巡ツアーへのご参加をお待ちしております!





~ちいろば会員さんで初のガイドとなる伊達貴子さんから皆様へのメッセージ~


こんにちは。伊達と申します。
このたびは岡山に興味を持って下さいましてありがとうございます。

一見つかみどころのない岡山ですが、実は奥が深いです。謎も多いです。世界遺産と同じ規模の古墳があったり、イワクラや巨石、遺跡も多いです。そして有名な宗教者や宗教団体が生まれたところでもあります。

今回、岡山の聖地巡礼ということで県内を代表する寺社と遺跡を巡ります。一宮巡りが出来ます。不便で県民もなかなか行けない最近大人気の神社にも行きます。伝説の残る神社、知る人ぞ知るような場所にも行きます。

またこれとは別に岡山は、食べ物の美味しいところでもあります。お米にお酒、野菜に果物、魚に肉など。道の駅でのお買い物もありますので、自然の風景と共々、楽しんでいただけたらと思います。皆さまのお越しを心待ちにしています。

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    これは弊社が10年以上行ってきたツアー経験とスピリチュアルな視点から神社やパワースポット等の聖地へ訪れる際に必要となる心得をまとめたものです。ぜひ、あなたの聖地旅の参考にして下さい。

吉備の国・岡山の古代信仰とナゾの伝説舞台を巡るツアー2日間2019 ~4つの一宮の神社とサムハラ神社奥の宮へ~ のポイント

ちいろば企画の会員である伊達さんによって企画された岡山の聖地巡礼ツアーです。

ちいろばの会員さんである岡山が地元である伊達さんによってガイドが行われます。

石上神宮の元宮!?といわれる備前国一宮「石上布都魂神社」参拝

浄土宗他力念仏門の開祖、法然上人降誕の聖地である「誕生寺」参拝

美作国の一宮「中山神社」参拝

知る人ぞ知る岡山の聖地「サムハラ神社奥の宮」参拝

境内が巨岩に覆われている不思議な光景の「岩倉神社」参拝

弥生時代の墳丘墓として最大級で重要な発掘があり、頂上に巨石のある「楯築遺跡」

備中国一宮の「吉備津神社」参拝&ご祈祷を予定しています。

備前国一宮の「吉備津彦神社」参拝

宿泊は「サントピア岡山総社」。大浴場あり。夕食は「吉備路会席コース」。部屋は男女別相部屋で1部屋2名~4名で洋室と和室あり。(1名部屋、2名部屋申込可能。数に限りあり。追加料金あり)

ツアー集合から解散まで貸切マイクロバスで移動!(2日目は散策あり)途中、道の駅にも立ち寄ります。

ツアーにはちいろば企画の榎本が同行します。



石上布都魂神社の待合室に斉藤一人さんの「絶好調」を見つけました♪

こんなあなたにおすすめします!

岡山の聖地や神社の歴史について知りたい方

地元岡山の会員さんだから知る岡山の聖地について話を聞きたい方

岡山の一宮の神社に4つ(石上布都魂神社、吉備津神社、吉備津彦神社、中山神社)や知る人ぞ知るサムハラ神社の奥の宮に参拝したい方

不思議な巨岩がある岩倉神社や弥生墳丘墓の楯築遺跡に行ってみたい方

1泊2日で岡山の代表的な聖地に足を運びたい方

宿泊に2名部屋、1名部屋をご用意しています。(数に限りあり)

岡山パワーフードのお食事やお買い物を楽しみにしている方



道の駅にも立ち寄ります。岡山名産のパワーフードのお買い物などどうぞ!

石上布都魂神社(備前国一宮)~スサノオノミコトの剣が最初に奉納された神社!?~



日本書紀に素戔嗚尊がヤマタノオロチオロチを退治した剣を奉斎したと記す古社。延喜式内社であり備前一宮として格式高い神社。素盞嗚尊が、出雲でヤマタノオロチを退治した剣「布都御魂(フツノミタマ)」を山頂の磐座に奉納し祀ったのが始まりといいます。布都御魂はその後、奈良に献上され蔓延していた病が治まったそうです。そして石上本宮(石上神宮)に納められたといいます。社殿の裏400mの山頂に本宮があり、背後に禁足地の巨石地域(遺跡)があります。
~ガイドの伊達さんから一言!~
宮司さんのお名前が「物部さん」に驚き、日本書紀別伝のそのページを見せて頂き、いろいろなお話を聞きました。この神社はつづら坂の上にあるので、頑張って上りましょう。そして本当に見ていただきたいのは、山頂にある巨大な磐座~少し大変ですが一見の価値ありです!


中山神社(美作国一宮 ~元寇の国家非常の際に「国家安穏」祈願で選ばれた7ヶ国の一宮の1つ~




中山神社は文武天皇慶雲4年(707)この地に社殿を創建して鏡作神(かがみつくりのかみ)を奉斎したと伝えられています。貞観年間官社に列せられ、延喜式においては美作国唯一の名神大社であると共にこの国の一宮でもあります。農耕の神様、特に牛馬の神として有名です。

「今昔物語」に猿神の説話があり、後白河法皇の御撰にかかる「梁塵秘抄」には関西に於ける大社として、安芸の厳島社備中の吉備津宮などと肩を並べています。鎌倉時代に元冦など国家非常の時に際し、勅命により特に全国7ケ国の一宮に国家安穏を祈願せしめられていますが、中山神社もその中に選ばれて祈願を厳修したことが伝えられているほどの神社です。

弘安8年に一遍上人回国の途に中山神社に参詣し念仏踊を行った「一遍聖絵」(国宝第八巻)に、その参詣の図が描かれています。

明治4年国幣中社に列格し御祭神金山彦命と定められました。これにより明治年間再度にわたって御祭神名を「鏡作神」に改められる様願出でたものの許されずに終戦を迎え、昭和21年宗教法人中山神社設立届出に当り御祭神名を主神鏡作神、相殿に天糠戸神、石凝姥神配祀とすべて明治以前の社家伝承や旧記類に記されている御神名に戻したのだそうです。

元々の社殿は尼子氏が侵略した際に焼失しており、現在の建物は尼子氏自身が再建したもので、中山造と呼ばれる非常に独特な構造をしています。社頭の石造大鳥居は「中山鳥居」と呼ばれ、本殿もまた「中山造り」と呼ばれて、 それぞれ一形式とされています。


~ガイドの伊達さんから一言!~
この辺り古代の製鉄遺跡が数多く見られます。ひと昔前までなかやまではなく、ちゅうざんと言われていました。こちらの鳥居は、両柱を支える貫はあるが、その柱より出た部分は木鼻と言いますが、それが全くないため全国的に珍しく評価されていて、中山鳥居といいます。

吉備津神社(備中国一宮)~山陽道屈指の大社、「桃太郎伝説のモデル」といわれるご祭神~





吉備津神社は岡山県岡山市にあり、大吉備津彦大神を主祭神とする山陽道屈指の大社です。古来より、吉備国開拓の大祖神として尊崇され、吾国唯一の様式にして日本建築の傑作「吉備津造り(比翼入母屋造)」の勇壮な社殿、釜の鳴る音で吉凶を占う鳴釜の神事、また桃太郎伝説のモデルなどで知られています。

備前国と備中国の境の吉備の中山(標高175m)の北西麓に北面して鎮座。吉備の中山は古来より神体山とされ、北東麓には備前国一宮・吉備津彦神社が鎮座しています。吉備津神社と吉備津彦神社とも、主祭神に、この地を治めたとされる大吉備津彦命を祀り、命の一族を配祀しています。

本来は吉備国の総鎮守でしたが、吉備国の三国への分割により備中国の一宮とされ、分霊が備前国・備後国の一宮(備前:吉備津彦神社、備後:吉備津神社)となったとされます。この事から備中の吉備津神社は「吉備総鎮守」「三備一宮」を名乗っています。

吉備津彦命は、「古事記」や「日本書記」などに伝わる古代日本の皇族。第7代孝霊天皇の皇子として生まれ、四道将軍(しどうしょうぐん/日本書紀に登場する皇族の将軍)の一人として、西国から運ばれてくる物資を略奪するなどの蛮行を重ねていた温羅一族を討伐するために吉備国へ派遣され、平定して平和と秩序を築き、今日の吉備文化の基礎を造られたとされています。

私たちがよく知る桃太郎のお話は、「桃太郎」=吉備津彦命、「鬼」=温羅一族として童話化したものだといいます。

足利義満造営とされる本殿は独特の比翼入母屋造(吉備津造)で、拝殿とともに国宝に指定。また社殿3棟が国の重要文化財指定されるほか、特殊神事の鳴釜神事が有名です。岡山出身の政治家犬養毅は、犬養家遠祖の犬飼健命が大吉備津彦命の随神であるとして、吉備津神社を崇敬したといわれています。

延命長寿、産業、安産育児、学問芸術の神様として岡山県の人たちの心の拠り処として親しまれる「吉備津神社」。昔話「桃太郎」と古代ロマンのある吉備津神社に参拝いたしましょう。

※ツアーでは、「ちいろば旅倶楽部」として吉備津神社でご祈祷を予定しています。個人でご祈祷をしたい方はお知らせ下さい。
~ガイドの伊達さんから一言!~
吉備津神社は岡山で大変人気のある神社のひとつです。古代、大和王国と並ぶ勢力を持誇っていた吉備王国の総鎮守でその歴史は長く深く、創建も謎だし当時の御祭神もわかりません。私は吉備津神社は謎がとても多いと思います。今回はガイドブックに載っていない私ならではの視点で、吉備津神社の謎についてお話しようと思っています。

長い回廊も有名です♪

吉備津彦神社(備前国一宮) ~別称は朝日の宮~




古代より背後の吉備の中山に巨大な天津磐座(神を祭る石)磐境(神域を示す列石)を有し、山全体が神の山として崇敬されてきました。第10代崇神天皇の御世に 四道将軍 として遣わされた大吉備津彦命もこの山に祈り 吉備の国 を平定し、現人神として崇められました。諸民と国を深く愛し、永住された吉備中山の麓の屋敷跡に社殿が建てられたのがこの神社のはじまりとなります。後に佛教が入り正宮、本宮、摂末社合わせて51社を具え神宮寺や法華堂も建ちいよいよ御神威は広大無辺に広がり古代気比大神宮・大社吉備津宮とも称され朝廷直属の 一品一宮、吉備大明神として武将庶民に至るまで厚く崇敬されてきました。
~ガイドの伊達さんから一言!~
夏至の日の出の時間に一の鳥居の真正面から日が昇り神殿の御鏡に入ることから、朝日の宮と称されて来ました。背後の神の山とされる吉備の中山には吉備津彦神社が建てられる前の神社の姿とされている元宮磐座があり、ここで5月に磐座祭と呼ばれる神事が毎年行われています。亀池の一番小さな島にはストーンサークルがあります。

サムハラ神社 奥の宮・元宮 ~知る人ぞ知る岡山の聖地~




「造化三神」と言われる「天御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)「高産巣日大神(たかみむすびのかみ、高皇産霊大神)」「神産巣日大神(かみむすびのかみ、神皇産霊大神)」の総称で、この造化三神が「サムハラ大神」と称されていることに由来する神社です。

1868(昭和10)年に苫田郡西加茂村(現在は津山市加茂町)で田中富三郎が中に石の祀られた祠を拝んでいたことが起源とされます。田中氏は加茂地内の小学校に図書館を造り、児童に奨学資金を送るなど児童の育成に力を入れた当時の万年筆業界の先駆者であり、その功績は紺綬褒章を受章したほどでした。

その田中氏自ら日清・日露戦争などで戦地に行った時にはサムハラの護符を身に着けていたことから、無事生還。第二次世界大戦に出征する兵士にお守りを持たせ、そのおかげで救われたりケガがなかったという人が大勢いたため、弾除けの願いを込めて千人針にもサムハラの文字を記していたといいます。戦国武将の加藤清正は、サムハラの文字を刀に彫り付けていたため九死に一生を得たという伝承もあります。
~ガイドの伊達さんから一言!~
御神輪で大人気で、すごいパワースポットとして有名な大阪立売堀にあるサムハラ神社の奥宮が、こちらです。サムハラ神社のご由緒は、上の説明を読んでください。ここに書いてあるよりもずっと昔に、渡来人によってこちらにもたらされて祀ってあったと思います。ここでは御神環やお守りは買えませんが、それよりももっと素晴らしいものがここにはあると私は思っています。この奥に元宮さんがあります。御神体は大阪にですが、私は今でもこちらにいらっしゃるのでないかと思っています。戻って坂を上がると展望台があります。空が高くてとても気持ちのいい場所です。ご自由に歩いてくださればと思います。

岩倉神社 ~境内が巨岩に覆われた不思議な神社~




仁徳天皇の御代に吉備津宮の五社殿を創建したとき、この岬に社殿を創建したと伝われています。吉備津彦命が吉備国に下向のとき、片岡の伊狭穂が栗坂の里で、稲を苅って軍卒に命じて船に積み北に向かったが、急流なので船を廻して、西の岬に荷揚げして軍糧を献じたので名を大稲船と賜りました。

潮流の急な所を瀬口、稲を荷揚げした所を稲倉と呼びました。後に稲倉が岩倉と転訛しました。元禄年間に再興し、明和5年及び安政年間に再建され、現在に至っています。


昔、ここは海だったそうで、海の中の大きな岩が信仰の対象となり、ここに社が建てられたと言われています。
~ガイドの伊達さんより一言!~
新幹線や道路から北方向に、こんもりした森が見えるのですが、それが岩倉神社だと知っている人は地元でも少ないです。古代、岡山平野は吉備の穴海と呼ばれる内海が広がっていたので岩倉神社も海の底か、小さな島だったのかもしれません。それはさておきこの神社。初めての方は驚くに違いありません。巨石がごろごろと境内にあり、その大きさ個数にびっくりです。しかもきれいにスライスされていたり鍵型になっていたりといったい何の目的で?誰が?どうやって?と頭の中は???だらけになります。本殿の奥には磐座があります。弥生時代の土器が出土しているので祭祀跡ではないかといわれています。

誕生寺 ~浄土宗の開祖・法然上人生誕の地~



仏教が日本に伝来したのはおよそ千五百年の昔。最初は貴族や学問僧だけのものだった仏教が本当に民衆化し、人々心の支えになったのは、鎌倉時代だったと言われています。その先駆けとなったのが浄土宗の開祖・法然上人でした。

誕生寺は、法然上人降誕の聖地であり、熊谷法力房蓮生(熊谷直実)が建久4年(1193年)に師である法然上人の命を奉じこの地に来て、上人誕生の旧邸を寺院に改めたのがはじまり。

法然上人は1133年(長承2年)美作の国、久米南条稲岡庄にご誕生されました。父は久米の押領使(この地方の監督)であった漆間時国、母は秦氏君。漆間家の屋敷跡が今の誕生寺です。時国公夫婦には子供がなかったので神仏に心をこめて子の授からんことを願い、やがて4月7日玉のような男の子を賜わりました。そのご誕生の時、空から二流の白い幡が舞い降りて屋敷内の椋の木の梢にかかり7日の後、飛び去ったといわれています。
~ガイドの伊達さんより一言!~
本堂では、自由に木魚が叩けるので、どうぞ!

楯築遺跡 弥生時代後期の墳丘墓~


楯築遺跡は、倉敷市域北東の岡山市と境を接するあたりに広がる王墓山丘陵の北端,楯築神社の境内を中心とする弥生時代後期の墳丘墓です。

自然地形を利用し盛り土を行って整えられた墳丘の規模は,現在知られている弥生時代の墳丘墓としては最大級です。円丘部は径約50m, 高さ5m。北東側と南西側に突出部を持っていましたが,工事によって破壊されてしまいました。墳丘頂部には5個の巨石が立っており,墳丘斜面には円礫帯がめぐっています。



岡山大学考古学研究室による発掘調査の結果,朱の敷き詰められた棺とそれを納めた木製の槨の痕跡が発見され,鉄剣と大量のガラス小玉,土製の勾玉などもみつかりました。弥生時代から古墳時代へかけての社会の変化を研究する上で,触れずにすますことのできない全国的にも重要な遺跡のひとつです。
~ガイドの伊達さんより一言!~
弥生後期、2世紀後半に造られた日本で最大の墳丘墓です。なのでこの被葬者はその時期の最有力者であるといえます。埋葬された木棺の下には30kgの多量の水銀朱が敷かれていました。日本の古墳の発祥は吉備国だと言われています。墳頂には木棺を取り囲むように5個の巨石が立てられています。これが弥生時代からあるとは、驚きです。この場所にいるととても不思議な感じがします。悠久の時を感じてみてください。遺跡の一部が団地造営の為に破壊されてしまいました。失ったものは二度と戻ってきません。残念でなりません。

サントピア岡山総社で宿泊&食事

広々とした施設に楽しみなレジャーもたくさんあって、家族で楽しめる宿泊施設。大浴場もあります。(温泉ではありません)実際に宿泊してよかったので宿はここに決めました。

夕食は「吉備路」の会席料理です

お食事は宿泊と同じサントピア岡山総社なので、夜は楽に過ごせます。相部屋、1人~2人部屋で手配が可能ですが、1人~2人部屋の手配は3部屋までですのでご了承下さい。追加料金も発生します。相部屋では同じお部屋の人といろんな深い楽しいお話も楽しみですね。



ちいろば企画の伊東の楽しみ:お米の入った「岡山づくり」のビールでした。

吉備の国・岡山の古代信仰と謎の伝説舞台を巡るツアー2日間2019の詳細について

ツアーはちいろば旅倶楽部会員のみ参加することができます。ツアーに興味のある方は、ちいろば旅倶楽部にご入会下さい。入会は無料です。会員の方のみ、質問にお答えしておりますのでご了承下さい。
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ちいろば企画のツアーはお1人でも安心して参加できるのがポイントです。実際にお1人参加の人がほとんどです。
ツアー内容は神社仏閣やパワースポット等を訪れるスピリチュアル旅行・聖地巡礼に加えて、その土地ならではの文化や伝統、食を楽しむ内容になっています。
お気軽にご参加ください。お待ちしております!!


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