吉備の国・岡山の古代信仰サンクチュアリ大巡礼3日間2020~岡山の一の宮とサムハラ神社奥の宮、和気神社~2020年12月4日(金)~6日(日)

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今年の岡山は3日間!岡山の重要な聖地と古墳・遺跡をめぐる大巡礼ツアーです。吉備の中山ハイキングもあります。(歩きは厳しくありません)

岡山は、霊的な道を究める土壌。神道、仏教その他、霊的思想の発信地といえます。そうおっしゃったのは、スピリチュアリスト・江原啓之さんでした。

浄土宗の開祖・法然や臨済宗の開祖・栄西の生誕地である岡山。

他にも、宇佐神宮のご神託で日本を救った和気清麿呂、太陽と一体化して人々を救済した黒住教の黒住宗忠など・・・。


霊的土壌のある岡山の聖地を巡る旅を、岡山のちいろば会員の伊達さんにより第2弾が企画されました!2019年の岡山ツアー以上に中身の濃い、吉備の古代聖地を巡る旅ができました!中身が濃い分、3日間です。(2日間参加もご相談下さい)


和気清麻呂像

岡山県の会員さんが多いちいろば企画。熱心にツアーに参加される会員さんに岡山県の会員さんが多いことも不思議の1つです。(^^♪ 岡山に住む人たちは、霊的なことに敏感なのでしょうか・・・!?これも岡山という霊的な土壌も影響しているのかもしれなせん。


岡山に訪れてみて・・・。岡山はワンダーランドだと榎本は思いました。なぜならとても遺跡&古墳が多いこと。吉備の国、岡山は古墳発祥地だから古墳ファンにはたまらない場所だと思います。古墳がこんなに多いということは、その分、謎の歴史もたくさん埋もれているのだと思います。

パワースポットと人気の高いサムハラ神社だけではありません。岡山の聖地には謎が多いと実感します。

岡山にはかつて出雲のように、1つの国が存在したと考えられています。このツアーの企画&ガイドの伊達さんのお話を聞いてみましょう。

岡山の人でも知らない聖地、知る人ぞ知る聖地にも参拝に訪れます。岡山・聖地大巡礼ツアーへのご参加をお待ちしております!





~2回目のガイドとなる伊達貴子さんから皆様へのメッセージ~

2019年の岡山ツアー中の伊達さん

こんにちは。伊達と申します。このたびは岡山に興味を持って下さいましてありがとうございます。今回岡山の聖地大巡礼ということで、3日間で企画をしました。

一見つかみどころのない岡山ですが、実は奥が深いです。謎も多いです。世界遺産と同じ規模の古墳があったり、イワクラや巨石、遺跡も多いです。そして有名な宗教者や宗教団体が生まれたところでもあります。

今回、岡山の聖地巡礼ということで県内を代表する寺社と遺跡を巡ります。一宮巡りが出来ます。不便で県民もなかなか行けない最近大人気の神社にも行きます。伝説の残る神社、知る人ぞ知るような場所にも行きます。

またこれとは別に岡山は、食べ物の美味しいところでもあります。お米にお酒、野菜に果物、魚に肉など。道の駅でのお買い物もありますので、自然の風景と共々、楽しんでいただけたらと思います。皆さまのお越しを心待ちにしています。

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吉備の国・岡山の古代信仰サンクチュアリ大巡礼3日間2020 ~岡山一の宮とサムハラ神社奥の宮、和気神社~ のポイント

ちいろば企画の会員である伊達さんによって企画された岡山の聖地巡礼ツアーです。

ちいろばの会員さんである岡山が地元である伊達さんによってガイドが行われます。

石上神宮の元宮といわれる備前国一宮「石上布都魂神社」参拝

和気清麻呂が祀られる和気神社参拝

美作国の一宮「中山神社」参拝

知る人ぞ知る岡山の聖地「サムハラ神社奥の宮」参拝

境内が巨岩に覆われている不思議な光景の「岩倉神社」参拝

弥生時代の墳丘墓として最大級で重要な発掘があり、頂上に巨石のある「楯築遺跡」

備中国一宮の「吉備津神社」参拝。

備前国一宮の「吉備津彦神社」参拝

今年は吉備の中山ハイキング!(歩きは厳しくありません。雨の場合は中止)

宿泊はホテル「α-1津山」(シングルの部屋とツイン1部屋)と「サントピア岡山総社」。どちらの宿泊も大浴場あり。サントピア岡山総社の夕食は「吉備路会席コース」。(1名部屋、2名部屋申込可能。サントピア~は相部屋は1部屋3~4名)数に限りあり。追加料金あり)

ツアー集合から解散まで貸切マイクロバスで移動!(2日目はハイキングあり)ドライバーさんもすべて私たちに同行のツアーです。道の駅にも立ち寄ります

ツアーにはちいろば企画の榎本が同行します。



石上布都魂神社の待合室に斉藤一人さんの「絶好調」を見つけました♪

こんなあなたにおすすめします!

岡山の聖地や神社、古墳などの遺跡の歴史について知りたい方

地元岡山の会員さんから学ぶ岡山の聖地について話を聞きたい方

岡山の一の宮の神社に4つ石上布都魂神社吉備津神社吉備津彦神社中山神社)や知る人ぞ知るサムハラ神社の奥の宮に参拝したい方

日本の10円札紙幣の人である日本の貢献者「和気清麻呂」が祀られる和気神社参拝<初>

不思議な巨岩がある岩倉神社や弥生墳丘墓の楯築遺跡に行ってみたい方

2泊3日で岡山の代表的な聖地巡礼の旅や吉備の中山ハイキングに興味のある方

宿泊に2名部屋、1名部屋(数に限りあり)、相部屋(1部屋3~4名)をご用意しています。

岡山パワーフードのお食事やお買い物を楽しみにしている方



道の駅にも立ち寄ります。岡山名産のパワーフードのお買い物などどうぞ♪

和気神社 ~10円札紙幣にもなったご祭神の和気清麻呂。日本を救い、京都の平安京を作った日本の大恩人~

榎本の尊敬する和気清麻呂そして姉の広虫姫が祀られる和気神社。今まで和気清麻呂がご祭神であるお宮がある宇佐神宮、京都の日帰りツアーで護王神社にも参拝に行きました。今回は和気清麻呂の故郷である岡山の和気神社へ参拝にうかがいます。命を狙われるほど日本の危機を救い、今の京都を作る平安京建設に手腕をふるったといわれており、昭和初期まで使われていた10円札には和気清麻呂が写っています。


和気神社

~ガイドの伊達さんから一言!~
和気郡和気町にある和気神社は、和気氏のご先祖と国家の災難を救い、京都千年の礎を築いた和気清麻呂、日本初の孤児院をつくった姉の広虫姫がご祭神です。清麻呂公の守護神、いのししが狛犬ならぬ狛いのししとなり今でも守っていらっしゃいます。所以の京都・護王神社、神護寺のお話もします。


和気清麻呂についてわかりやすく伝えていますが、肝心のところが抜けています。和気清麻呂のお話には「いのしし」が登場しますし、和気神社の狛犬は「いのしし」です。その理由とは、道鏡に命を狙われた和気清麻呂を助けるのが、たくさんのいのししだったのです。

石上布都魂神社(備前国一宮)~スサノオノミコトの剣が最初に奉納された神社~



日本書紀に素戔嗚尊がヤマタノオロチを退治した剣を奉斎したと記す古社。延喜式内社であり備前一宮として格式高い神社。素盞嗚尊が、出雲でヤマタノオロチを退治した剣「布都御魂(フツノミタマ)」を山頂の磐座に奉納し祀ったのが始まりといいます。布都御魂はその後、奈良に献上され蔓延していた病が治まったそうです。そして石上本宮(石上神宮)に納められたといいます。社殿の裏400mの山頂に本宮があり、背後に禁足地の巨石地域(遺跡)があります。

~ガイドの伊達さんから一言!~
備前国で一番古い一宮です。歴史はとても古く神話の時代まで遡ります。宮司さんのお名前は、物部さん。奈良の石上神宮の元宮説もあります。神社はつづら坂の上にあるので頑張って登りましょう。そして古代よりずっと守られて来た巨大な磐座は山頂にあります。原始的な祭祀の場所です。この御神体は一見の価値ありです。


中山神社(美作国一宮 ~元寇の国家非常の際に「国家安穏」祈願で選ばれた7ヶ国の一宮の1つ~




中山神社は文武天皇慶雲4年(707)この地に社殿を創建して鏡作神(かがみつくりのかみ)を奉斎したと伝えられています。貞観年間官社に列せられ、延喜式においては美作国唯一の名神大社であると共にこの国の一宮でもあります。農耕の神様、特に牛馬の神として有名です。

「今昔物語」に猿神の説話があり、後白河法皇の御撰にかかる「梁塵秘抄」には関西に於ける大社として、安芸の厳島社備中の吉備津宮などと肩を並べています。鎌倉時代に元冦など国家非常の時に際し、勅命により特に全国7ケ国の一宮に国家安穏を祈願せしめられていますが、中山神社もその中に選ばれて祈願を厳修したことが伝えられているほどの神社です。

弘安8年に一遍上人回国の途に中山神社に参詣し念仏踊を行った「一遍聖絵」(国宝第八巻)に、その参詣の図が描かれています。

明治4年国幣中社に列格し御祭神金山彦命と定められました。これにより明治年間再度にわたって御祭神名を「鏡作神」に改められる様願出でたものの許されずに終戦を迎え、昭和21年宗教法人中山神社設立届出に当り御祭神名を主神鏡作神、相殿に天糠戸神、石凝姥神配祀とすべて明治以前の社家伝承や旧記類に記されている御神名に戻したのだそうです。

元々の社殿は尼子氏が侵略した際に焼失しており、現在の建物は尼子氏自身が再建したもので、中山造と呼ばれる非常に独特な構造をしています。社頭の石造大鳥居は「中山鳥居」と呼ばれ、本殿もまた「中山造り」と呼ばれて、 それぞれ一形式とされています。



~ガイドの伊達さんから一言!~

美作国の一宮です。中山神社の由来は、神奈備である吉備の中山を美作で祀ることから、美作・中山神社となりました。同一の神の分社となります。ご祭神については諸説あります。本殿や鳥居など独特の造りになっています。境内の奥には猿神様が祀られていますが、本当に大切なのは背後の磐座です。


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吉備津神社(備中国一宮)~山陽道屈指の大社、「桃太郎伝説のモデル」といわれるご祭神~





吉備津神社は岡山県岡山市にあり、大吉備津彦大神を主祭神とする山陽道屈指の大社です。古来より、吉備国開拓の大祖神として尊崇され、我が国唯一の様式にして日本建築の傑作「吉備津造り(比翼入母屋造)」の勇壮な社殿、釜の鳴る音で吉凶を占う鳴釜の神事、また桃太郎伝説のモデルなどで知られています。

備前国と備中国の境の吉備の中山(標高175m)の北西麓に北面して鎮座。吉備の中山は古来より神体山とされ、北東麓には備前国一宮・吉備津彦神社が鎮座しています。吉備津神社と吉備津彦神社とも、主祭神に、この地を治めたとされる大吉備津彦命を祀り、命の一族を配祀しています。

本来は吉備国の総鎮守でしたが、吉備国の三国への分割により備中国の一宮とされ、分霊が備前国・備後国の一宮(備前:吉備津彦神社、備後:吉備津神社)となったとされます。この事から備中の吉備津神社は「吉備総鎮守」「三備一宮」を名乗っています。

吉備津彦命は、「古事記」や「日本書記」などに伝わる古代日本の皇族。第7代孝霊天皇の皇子として生まれ、四道将軍(しどうしょうぐん/日本書紀に登場する皇族の将軍)の一人として、西国から運ばれてくる物資を略奪するなどの蛮行を重ねていた温羅一族を討伐するために吉備国へ派遣され、平定して平和と秩序を築き、今日の吉備文化の基礎を造られたとされています。

私たちがよく知る桃太郎のお話は、「桃太郎」=吉備津彦命、「鬼」=温羅一族として童話化したものだといいます。

足利義満造営とされる本殿は独特の比翼入母屋造(吉備津造)で、拝殿とともに国宝に指定。また社殿3棟が国の重要文化財指定されるほか、特殊神事の鳴釜神事が有名です。岡山出身の政治家犬養毅は、犬養家遠祖の犬飼健命が大吉備津彦命の随神であるとして、吉備津神社を崇敬したといわれています。

延命長寿、産業、安産育児、学問芸術の神様として岡山県の人たちの心の拠り処として親しまれる「吉備津神社」。昔話「桃太郎」と古代ロマンのある吉備津神社に参拝し、ご祈祷をいたします。



~ガイドの伊達さんから一言!~
備中国一宮です。現在は岡山市です。本殿は国宝です。古代、大和王国と並ぶ勢力を誇っていた吉備王国の総鎮守でした。その歴史は古く深く、そして謎がとても多い神社です。今年もガイドブックには載っていない私ならではの視点で、吉備津神社の謎解きをしたいと思っています。

長い回廊も有名です♪

吉備津彦神社(備前国一宮) ~別称は朝日の宮~




古代より背後の吉備の中山に巨大な天津磐座(神を祭る石)磐境(神域を示す列石)を有し、山全体が神の山として崇敬されてきました。第10代崇神天皇の御世に 四道将軍 として遣わされた大吉備津彦命もこの山に祈り 吉備の国 を平定し、現人神として崇められました。諸民と国を深く愛し、永住された吉備中山の麓の屋敷跡に社殿が建てられたのがこの神社のはじまりとなります。後に佛教が入り正宮、本宮、摂末社合わせて51社を具え神宮寺や法華堂も建ちいよいよ御神威は広大無辺に広がり古代気比大神宮・大社吉備津宮とも称され朝廷直属の 一品一宮、吉備大明神として武将庶民に至るまで厚く崇敬されてきました。


~ガイドの伊達さんから一言!~
備前国一宮です。背後の「吉備の中山」には、吉備津彦神社が建てられる以前の信仰の場であった元宮磐座があり、5月に磐座祭という神事が毎年行われています。亀池の小さな島(禁足地)には、ストーンサークルがあります。岡山藩主により立派な本殿が建てられました。

サムハラ神社 奥の宮・元宮 ~知る人ぞ知る岡山の聖地~




「造化三神」と言われる「天御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)「高産巣日大神(たかみむすびのかみ、高皇産霊大神)」「神産巣日大神(かみむすびのかみ、神皇産霊大神)」の総称で、この造化三神が「サムハラ大神」と称されていることに由来する神社です。

1868(昭和10)年に苫田郡西加茂村(現在は津山市加茂町)で田中富三郎が中に石の祀られた祠を拝んでいたことが起源とされます。田中氏は加茂地内の小学校に図書館を造り、児童に奨学資金を送るなど児童の育成に力を入れた当時の万年筆業界の先駆者であり、その功績は紺綬褒章を受章したほどでした。

その田中氏自ら日清・日露戦争などで戦地に行った時にはサムハラの護符を身に着けていたことから、無事生還。第二次世界大戦に出征する兵士にお守りを持たせ、そのおかげで救われたりケガがなかったという人が大勢いたため、弾除けの願いを込めて千人針にもサムハラの文字を記していたといいます。戦国武将の加藤清正は、サムハラの文字を刀に彫り付けていたため九死に一生を得たという伝承もあります。



~ガイドの伊達さんから一言!~
とても辺鄙な場所にあるにも拘わらず年々増え続ける参拝者。すごいパワースポットとして有名な大阪立売堀にあるサムハラ神社の奥宮がこちらです。元宮もあります。台風で壊れた階段も直りました。朝の清々しい時間に参拝します。上には展望台もあります。とても気持ちのいい場所なので自由に過ごしていただければ、と思います。


岩倉神社 ~境内が巨岩に覆われた不思議な神社~




仁徳天皇の御代に吉備津宮の五社殿を創建したとき、この岬に社殿を創建したと伝われています。吉備津彦命が吉備国に下向のとき、片岡の伊狭穂が栗坂の里で、稲を苅って軍卒に命じて船に積み北に向かったが、急流なので船を廻して、西の岬に荷揚げして軍糧を献じたので名を大稲船と賜りました。

潮流の急な所を瀬口、稲を荷揚げした所を稲倉と呼びました。後に稲倉が岩倉と転訛しました。元禄年間に再興し、明和5年及び安政年間に再建され、現在に至っています。


昔、ここは海だったそうで、海の中の大きな岩が信仰の対象となり、ここに社が建てられたと言われています。


~ガイドの伊達さんより一言!~
新幹線や道路から北方向にこんもりした森が見えます。それが岩倉神社だと知っている人は地元でも少ないです。 そして初めての方は必ず驚かれます。この境内には、巨石がところ構わずごろごろとあり、その大きさ個数にびっくりです。本殿の後ろには磐座があります。田んぼに囲まれた謎だらけの神社です。

吉備の中山ハイキング ~多数の遺跡と神秘的な岩~

岡山の百名山の一つでもある吉備の中山。多数の遺跡と神秘的な岩を楽しむことのできる低山です。厳しい道ではありませんので、楽しみながら歩けます。(雨のときは中止になります)歩きやすい靴と服装でご参加下さい。


長いので、ゆっくり上がって上の広場で休憩してそれからスタート


○中山茶臼山古墳
吉備津神社背後にある古墳時代前期の前方後円墳で、実際の被葬者は不明ですが、第7代孝霊天皇皇子の「大吉備津彦命の墓」として宮内庁の管理下にあります。




○国境石
吉備の中山における備前国と備中国の境界を示す国境石があります。

○穴観音
赤い前掛けをした岩石群があり、そのひとつに仏様が彫られていて側面には20cmの穴があるのが、穴観音です。耳を当てると観音様の声が聞こえるという信仰があったそうです。この穴観音を含む磐座は中山茶臼山古墳を遙拝する位置にあるので埋葬者を拝む場所と言われています。


○鏡 岩
道に沿って巨石が並んでいます。一番南にあるのが鏡岩。表面が真っ平らで大きな鏡を連想させることからついた名前でしょう。古代祭祀の遺構と言われています。表面に無数に線刻があり、古代人のメッセージかもと言われています。




~ガイドの伊達さんより一言!~
万葉仮名では「吉備那珂邪馬」と書かれています。古代吉備国の中心に位置しており、また最高に聖なる山でした。重要な古代遺跡が多く散在し、特に磐座が多くあることから太古から神奈備山と言われています。吉備国の古代史をひもとく上で重要な場所です。麓の両端には、備前と備中の一宮があります。そして現代でも祭祀が行われているところもあります。岡山の自然道に指定されています。自由に散策出来ます。今回は吉備津神社関連の場所をご案内します。

~雨になった場合に、ハイキングの代わりに行くところ~
〇造山古墳、ビジターセンター
岡山県では最大、全国では第4位の規模の巨大古墳です。第3位までのより時代が少し古い前方後円墳です。陵墓ではないので、墳丘に立ち入ることの出来る日本で最大の古墳です。実際に歩くとその大きさに驚かされます。雨の日は古代人の技術の高さに驚きます。頂上は広場のようになっているので歩いて体感してください。雨が降った場合は、造山古墳のビジターセンターにも足を運びます。

〇千足古墳
岡山市新庄下にある前方後円墳で、造山古墳の前方部前面に位置します。墳長約74m、後円部径約55m、同高さ6.8 m、前方部長22mで、前方部が短い墳形。前方部は一段、後円部は三段築成。内部主体は、古式の横穴式石室で、内部に九州系の障壁があり、直弧文が彫刻されています。銅鏡、勾玉、鉄鏃、巴形銅器、管玉、小玉、斧、刀剣、甲胄が明治時代に出土している。最近、付近の民家でその時の出土品の一部が発見され、岡山市教育委員会へ寄贈されました。本墳の周辺には、銅製馬形帯鉤を出土したとされる榊山古墳、家形埴輪等が出土した造山第4号墳、周囲に埴輪列がめぐる造山第2号墳など6基の中・小形古墳があり、造山古墳の陪塚とされる。ただし、それらには少なからず時期差があり、造山古墳築造(5世紀前半)後から5世紀後半までの間に築かれたものと考えられています。

楯築遺跡 弥生時代後期の墳丘墓、メディアによく紹介される有名な遺跡~

楯築遺跡は、倉敷市域北東の岡山市と境を接するあたりに広がる王墓山丘陵の北端,楯築神社の境内を中心とする弥生時代後期の墳丘墓です。

自然地形を利用し盛り土を行って整えられた墳丘の規模は,現在知られている弥生時代の墳丘墓としては最大級です。円丘部は径約50m, 高さ5m。北東側と南西側に突出部を持っていましたが,工事によって破壊されてしまいました。墳丘頂部には5個の巨石が立っており,墳丘斜面には円礫帯がめぐっています。


岡山大学考古学研究室による発掘調査の結果,朱の敷き詰められた棺とそれを納めた木製の槨の痕跡が発見され,鉄剣と大量のガラス小玉,土製の勾玉などもみつかりました。弥生時代から古墳時代へかけての社会の変化を研究する上で,触れずにすますことのできない全国的にも重要な遺跡のひとつです。


~ガイドの伊達さんより一言!~
小高い丘を登ると、目の前に現れる大きな立石。ここは弥生後期に築造された日本で最大級の弥生墳丘墓、楯築遺跡です。この被葬者はその時代の最有力者であるといえます。日本の古墳の発祥は吉備国といわれています。立石は弥生時代からそこにあり、悠久の時を感じます。遺跡の一部が団地造営の為破壊されてしまったのは、残念でなりません。

1日目はホテルα-1津山、2日目はサントピア岡山総社で宿泊&食事

サントピア岡山総社は広々とした施設に楽しみなレジャーもたくさんあって、家族で楽しめる宿泊施設。大浴場もあります。(温泉ではありません)実際に宿泊してよかったので宿はここに決めました。

夕食は「吉備路」の会席料理です

お食事は宿泊と同じサントピア岡山総社なので、夜は楽に過ごせます。相部屋、1人~2人部屋で手配が可能ですが、1人~2人部屋の手配は3部屋までですのでご了承下さい。追加料金も発生します。相部屋では同じお部屋の人といろんな深い楽しいお話も楽しみですね。

ホテルα‐1津山にも大浴場があります。

吉備の国・岡山の古代信仰サンクチュアリ大巡礼3日間2020の詳細について

ツアーはちいろば旅倶楽部会員のみ参加することができます。ツアーに興味のある方は、ちいろば旅倶楽部にご入会下さい。入会は無料です。会員の方のみ、質問にお答えしておりますのでご了承下さい。
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