ひとり参加のパワースポットツアー

95%が一人参加ツアー参加者の95%がお一人参加なのでツアー初参加でも安心です。
少人数限定ツアー参加者は15名以下で参加者同士の心地良い距離感を提供します。
自らを内観するスピリチュアル旅行参加者が訪れる聖地で十分に内観できる様に滞在時間を多めに確保。
現地集合・現地解散ツアーの集合・解散場所は目的地の最寄りの駅なので、ツアーの前後に自分で自由に旅を追加できます。
一人旅と団体ツアーの良い所取りちいろば旅倶楽部ツアーでは一人旅と団体ツアー双方のメリットの両立を追求しています。

戸隠神社参拝と柱松神事2日間2021
~3年に一度の戸隠修験道の火祭り見学~
2021年7月10日(土)~11日(日)

~2021年の5月は7年に一度の式年大祭、7月の柱松神事は戸隠修験道の火祭~

戸隠神社の奥社、中社、宝光社、九頭竜社、火之御子社の五社を参拝し、柱松神事を見学します。



4月もまだ雪の残る戸隠。戸隠は峻厳な自然のなかにあります。

険しい山々や過酷な風雪によって、人の目から隠されるように封印され、太古のエナジーをそのままの形で保ってきたことが、今も残る聖地の神秘性につながっています。

戸隠神社は今もご神霊やその土地を護ってきた人霊の鎮まる聖地です。

「天岩戸伝説」と密接な関係を持つ聖地・戸隠での静かな2日間、そして辻旅館でのおいしいそば会席をいただきながら目には見えぬ神々との交流をいたしましょう。



今回の戸隠ツアーは、3年に一度に行なわれる「柱松神事」。ちいろばのツアーでは2回目になります。

ちいろばの会員の皆さまに、この貴重なお祭りを体験していただきたく、5月の式年大祭に引き続き、戸隠神社の柱松神事ツアーを企画することとなりました。

かつて、ちいろばのツアーで地元の人たちと一緒に踊った「宣澄(せんちょう)踊り」が、柱松神事で見られる可能性があるようです!

戸隠の神々とのご縁を感じる方、戸隠神社のお祭りに興味のある方、戸隠神社に行きたい!という方たちは、みんなご縁のある方たちです。

あなたの参加を、心よりお待ちしています。

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    これは弊社が10年以上行ってきたツアー経験とスピリチュアルな視点から神社やパワースポット等の聖地へ訪れる際に必要となる心得をまとめたものです。ぜひ、あなたの聖地旅の参考にして下さい。

戸隠神社参拝と柱松神事2日間2021のポイント

素晴らしいご神気に包まれた戸隠神社五社(奥社、中社、宝光社、九頭竜社、火之御子社)参拝

今年は3年に一度の「柱松神事」を見学します

宿泊は戸隠人気の辻旅館!おいしいそば会席に舌鼓

JR長野駅から辻旅館~奥宮まで、柱松神事終了後は辻旅館からJR長野駅まで貸切バスあり



鷹明亭辻旅館で宿泊!スピリチュアリスト・江原啓之さんや秋篠宮家がご宿泊されたことでも有名。ここのお蕎麦は本当においしい!それが目当てで参加の人も!?

こんなあなたにおすすめします!

戸隠神社に参拝してみたかった方

ご自身で内観をしたい方

自然の中に入りたい方

柱松神事を見てみたい方

おいしい戸隠のそば、お酒を楽しみたい方

随神門からの、奥社へ向かう参道の杉並木を歩いてみたい方



柱松神事の様子

戸隠神社とは?

戸隠神社を参拝し、中社と呼ばれるご社殿の前に立ったとき、ぼくには戸隠神社のご神霊の存在がはっきりと感じ取れました。その崇高さは、まさに神々の英知に満ちたものであり、霊的なパワーのすべてが、自ずと内包されていたのです。戸隠神社こそが、すべての人たちに生きることの真理をお示しくださる、真の聖地だと思います。
『江原啓之 神紀行 関東・中部』江原啓之著 マガジンハウスより



中社

戸隠神社は霊山・戸隠山の麓に、奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社からなる、創建以来二千年余りに及ぶ歴史を刻む神社です。

その起こりは遠い神世の昔、「天の岩戸」が飛来し、現在の姿になったといわれる戸隠山を中心に発達し、祭神は、「天の岩戸開きの神事」に功績のあった神々をお祀りしています。
平安時代末は修験道の道場として都にまで知られた霊場でした。神仏混淆のころは戸隠山顕光寺と称し、当時は「戸隠十三谷三千坊」と呼ばれ、比叡山、高野山と共に「三千坊三山」と言われるほどに栄えました。

江戸時代には徳川家康の手厚い保護を受け、一千石の朱印状を賜り、東叡山寛永寺の末寺となり、農業、水の神としての性格が強まってきました。山中は門前町として整備され、奥社参道に現在もその威厳を伝える杉並木も植えられ、広く信仰を集めました。

明治になって戸隠は神仏分離の対象になり、寺は切り離され、宗僧は還俗して神官となり、戸隠神社と名前を変えて現在に至ります。


戸隠神社ホームページより抜粋

戸隠神社は「天岩戸伝説」と密接な関係を持つ由緒正しい神社です。神代の昔、スサノオノミコトの乱暴をお怒りになったアマテラスオオミカミが天岩戸にお隠れになったとき、アメノタヂカラオノミコトの神様が無双の神力で中か開きかけた天の岩戸をこじあけ、日の光を取り戻しました。そして再びアマテラスオオミカミがお隠れになることのないよう、アメノタヂカラオノミコトは天岩戸をはるか遠くに投げ捨てます。この岩戸こそ、戸隠山だといいます。






<中 社>


ご祭神は天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)。
素戔嗚尊の度重なる非行に天照大神が天岩戸にお隠れになった時、岩戸神楽(太々神楽)を創案し、岩戸を開くきっかけを作ったという神です。学業成就・商売繁盛・開運・厄除・家内安全に御神徳があります。社殿天井には平成15年に復元された狩野派の天才絵師、河鍋暁斎によって描かれた「龍の天井絵」があります。また、境内には樹齢700年を超えるご神木、樹齢800年を超える三本杉があり、戸隠神社の社務所が置かれています。(戸隠神社ホームページより)
~人が生きる道を見つけ出だせる場所~
天岩戸を開く方法を考え出したといわれる、アメノヤゴコロオモオイカネノミコトを祀る社殿。奥社と宝光社の間に位置し、奥社からオモイカネノミコトは分詞する形で創建された。オモイカネノミコトは、一般的には学問のご神徳のある神様とされているが、戸隠神社のご神霊は、単なる学問にとどまらず、神の英知を指し示してくださるはず。
(江原啓之『江原啓之 神紀行』マガジンハウスより)


<奥 社>


ご祭神は天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)。
日本神話にある、天照大神が天の岩屋にお隠れになった時、無双の神力をもって、天の岩戸をお開きになった天手力雄命を戸隠山の麓に奉斎した事に始まります。戸隠神社の御本社として全国に開運、心願成就、五穀豊熟、スポーツ必勝などの御神徳が広宣され多くの崇敬者が登拝されます。参道は約半里(2キロ)、中程には萱葺きの赤い随神門があり、その先は天然記念物にも指定されている樹齢約400年を超える杉並木が続いています。



~疲れた心と体を癒してくれるはず。~
戸隠神社の本社にあたる奥社は、“学問行者”が道場として築いた伽藍が起源だと伝えられている。昭和37年と昭和53年の2度までも、雪崩のために社殿が倒壊し、その都度、神社関係者の懸命の努力によって再建されている。戸隠の自然の厳しさを象徴するような災禍だが、それもまた「神からの学びの機会」なのだろう。(江原啓之『江原啓之 神紀行』マガジンハウスより)


奥社へ続く杉並木は圧巻!

<宝光社>


ご祭神は天表春命(あめのうわはるのみこと)。
杉の古木の中、270余段の石段を登ると神仏習合時代の面影を残す荘厳な社殿があり、その荘厳さは多くの信者の尊信を集めています。祭神は中社祭神の御子神様で、開拓学問技芸裁縫の神・安産の神・女性や子供の守り神として御神徳があります。(戸隠神社ホームページより)


~建築物としての価値も見逃せない~
社伝によると、後冷泉天皇の時代、奥社から5kmほど離れた土地にあった大樹の梢から、光を放つご神体が見つかったそう。このため、大樹のそばに庵を結び、奥社からオモイカネノミコトの子であるアメノウワハルノミコトを分祀して、お祀りしたと伝えられている。現在の社殿は、神仏習合時代に建立されたもので、寺院建築の影響が色濃く表れている。(江原啓之『江原啓之 神紀行』マガジンハウスより)


宝光社のなが~い階段。でもとても神々しい。


<九頭龍社>


ご祭神は九頭龍大神(くずりゅうのおおかみ)。
鎮座の年月不明ですが、天手力雄命が奉斎される以前に地主神として奉斎され、心願成就の御神徳高く特別なる信仰を集め、また古来より水の神、雨乞いの神、虫歯の神、縁結の神として尊信されています。(戸隠神社ホームページより)

~古来の神の存在を感じさせる空気感~
いつの時代に祀られたのか、鎮座の年月は不明。アメノタヂカラオノミコトが奉斎される以前から、戸隠一帯で信仰を集めていた土地神をお祀りした社が、現代に伝わったもの。ご祭神であるクズリュウノオオカミは、古来より水の神、雨乞いの神、虫歯の神としての霊験があると信じられてきた。水神から転じ、農業の神とも言われている。(江原啓之『江原啓之 神紀行』マガジンハウスより)

<火之御子社>


ご祭神は天鈿女命(あめのうずめのみこと)。
承徳二年(1098)頃の創建で、岩戸の前で舞われた天鈿女命が主祭神で他に三柱の神様をお祀りされています。戸隠山の神様が神仏習合されていた当時も、このお社だけは神社として終始しておりました。戸隠神社太々御神楽は、この神社に仕えていた社人によって古来より伝えられ現在に至っております。舞楽芸能の神、縁結の神、火防の神として尊崇されております。境内には樹齢500年を超える『結びの杉(二本杉)』と有名な西行桜があります。(戸隠神社ホームページより)

柱松神事について




柱松神事(別名紫燈神事)の歴史は、古く鎌倉時代にさかのぼります。江戸時代末期、故あって中断され現在にいたっていましたが、平成十五年の式年大祭を機に復活されました。

柱松神事は八月の例祭の折、三本の幣束を杉の葉の火にかざす「火祭」の中にわずかにその名残をとどめていました。これを出来る限り正確に復活するため資料収集や文献調査を行い、また、他所に残る同様の神事についても研究調査を重ね柱松神事を復活させました。柱松神事は「特別祈祷祭」「行列」「柱松山伏(松山伏)の入峰修行」「験比べ」「火祭り」「直会」に五つの流れに組み立てられています。

戸隠独特の根曲竹や木で作られた柱松に火をつけ、世情を占うという勇壮な火祭りは必見です。






柱松神事では、「宣澄踊り」が見られるかもしれないとのことでしたので、ここでどんな踊りなのかをご紹介します。かつて、ちいろばのツアーで、地元の人たちと一緒に踊ったことがあります。辻旅館の辻さんによると、宣澄踊りは柱松神事と関わりがあるのだそうです。


〈宣澄(センチョウ)踊り〉について

戸隠の「宣澄(センチョウ)踊り」は、戸隠山顕光寺における天台・真言の法論の最中、応仁2年(1468)に暗殺された天台宗大先遍、宣澄阿闇梨(センチュウアジャリ)を偲んだ踊りです。毎年旧盆の8月16日、野良着姿(普段着)に手拭で頬かぶりをした男性が五斉神社境内の宣澄社前に集まり、酒を酌み交わしながら踊ります。「踏む」「蹴る」の動作が中心の素朴な踊りで、前唄7つ・中唄5つ・後唄3つからなり、七五三踊りともいわれています。
 
また、修験道(シュゲンドウ)に深く関連した踊りとされ、北信濃一帯に伝えられている烏踊・盆じゃもの・蹴りこみ踊・田の草踊などは、この宣澄踊りが起源と考えられています。現在では長野市無形重要文化財に指定され、保存会を通して後世へと受け継がれています。

戸隠神社参拝と柱松神事2日間2021の詳細について

ツアーはちいろば旅倶楽部会員のみ参加することができます。ツアーに興味のある方は、ちいろば旅倶楽部にご入会下さい。入会は無料です。会員の方のみ、質問にお答えしておりますのでご了承下さい。
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ツアー内容は神社仏閣やパワースポット等を訪れるスピリチュアル旅行・聖地巡礼に加えて、その土地ならではの文化や伝統、食を楽しむ内容になっています。
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【旅行企画・主催】

有限会社ちいろば企画
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